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北軽井沢 虹の街 爽やかな風

感激のトレッキング−番外編 

2011年11月02日 外部ブログ記事
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感激のトレッキングは、大成功のもとに終了した。全員でAさんにお礼を言いお別れしたが、参加した男性軍は何やら相談をはじめ、しばらくして、午後4時に1130鬼押し温泉に集合と言うことになった。帰宅後私は、本日参加出来なかったOさんにいただいていた日本酒を密かにナップサックに入れ、徒歩で1130を目指した。Tさんの別荘で男達が集まるという席にOさんも一緒に連れて行ってあげたいという思いがあったのは確かだが、出席出来なかったFさん、Yさん、M君もみんな一緒に行進していたような錯覚さえしていたのは、私だけではなかったはずだ。それだけこのメンバーの絆が強いと感じている。
 
温泉の露天風呂で裸の男達が、ゆらゆらと揺れる湯気の中で語り合う。どの顔も満足そうないい顔であった。I君のジュニアも元気に歩き回り、和やかな雰囲気は一層盛り上がった。
心地よいお湯の中で私は番外編を書くことを決めていたが、急遽決まった二次会の場所を提供していただいたT夫妻、特に急な決定にもかかわらずいとも簡単に準備をしていただいたT夫人に心よりお礼を申し上げたい。急なことだったにもかかわらず鍋料理を中心とした数々のご馳走は、トレッキングの行進の後に温泉へ入り、意気投合した仲間と語り合うには贅沢すぎる物だった。
 
6人の男達はそれぞれ年齢も違い、生活環境や職業も異なる。ただ一つの共通点は、この北軽井沢一帯の浅間山麓の自然をこよなく愛し、その大自然に抱かれながら人生を愉しむこと。
人は誰も全てを満足させる生活が出来る訳ではない。その程度に差こそあれ、みな悩み事はあるものだ。問題はどんなことでも解決し結末を迎えるが、その間、様々な出来事が起こり、悩み、苦しみ、また、笑い、泣き、絶望を感じたり、有頂天になったりするものだ。自分にふりかかった問題は自分にしか解決できないが、他人の意見が参考になることはあるに違いない。また、話しているうちに、自分よりももっと大きな問題を抱えているという人がいたら、自分に起こっている問題が小さく見えることもあるだろう。いずれにせよ、利害関係のない仲間がとりとめのない話しをする時間は貴重である。
 
T夫人の美味しい料理は、いろいろなお酒の味をより一層引き立たせる。トレッキングの後に、こんな素晴らしい経験が出来るとは、まったくもって幸せの一語に尽きる。
高齢者と呼ばれるようになって、将来のことを考えることもある。老年になってからのみじめな出来事も多くあり、それを報道で知ったとき、老年について考えさせられることも多い。
 
古代ローマの哲学者キケローは、老年にとって、いわば肉欲や野望や争いや敵意やあらゆる欲望への服役期間が満了して、心が自足している、いわゆる心が自分自身と共に生きる、というのは何と価値あることか、と語っている。人は誰も早かれ遅かれ必ず死という到達点に達するが、キケローは、死というものは、もし魂をすっかり消滅させるものならば無視してよいし、魂が永遠にあり続ける所へと導いてくれるものならば、待ち望みさえすべきだ。第三の道は見つけようがないのだ、と言う。
 
一人の人間が出来ることは、一部の天才的な人を除けばたいしたことが出来るわけではない。
65歳からを第三の人生と決め、妻と共に北軽井沢の森の中で暮らすことを決めた私に出来ることは、ただひたすら今を生きること。微笑みを絶やさず健やかに生きることだと考えるようになっている。そのなかでいろいろな出来事が起こる。様々な出会いがあり、少なからず影響を与え合える人と出会い、自分の生き方に共感してくれる人が一人でもいれば、それはおおいに結構なことに違いない。
 
久しぶりに経験した酒の席。65度のウイスキーが効いてきたのは帰宅後にパソコンの前に座ってからだった。本当の酒飲みとは、酒は何でもいい、肴になる語らいが楽しく、そのひとときを微笑みを絶やさず過ごすことが出来る者が本当の酒飲みなのだ。
とにもかくにも素晴らしい一日だった。大きな勇気と力をいただき、明日からの生活の糧となることは間違いない。みなさん、ありがとう。
 
 

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