にいたかやま

小百合のパートナー光夫 

2024年03月02日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

吉永小百合の娘時代を語るとき、その象徴的存在は浜田光夫である。彼は1943年10月1日、東京神楽坂で生を受け、代々木上原で育っている。
生後一か月で父親を亡くした、いわゆる母子家庭である。
小学一年生からバイオリン教室に通い、六年生の時に児童劇を見て、母上に「ぼくもこんな芝居をしてみたい・・・」と述べて、これが劇団民芸から、若杉光夫監督の映画「石合戦」出演と繋がる。
浜田光夫にとって、彼は父親のような存在だった。
斌(あきら)という戸籍名も、「光夫」の芸名に改名。
監督の邸宅に宿泊させるとき、彼は夫人南風洋子との間に、光夫をサンドイッチのように置き、川の字に寝たそうである。

小百合八作目の「ガラスの中の少女」は、この若杉光男監督が、現場の総指揮を執った。彼が光夫と小百合をマッチングさせたようなものです。
両人共に初主演で、美しい湖畔の風景の中で、メルヘンチックな心中をする、若いカップルのお話。
このラストシーンんの浮いてるシーンで、小百合が失神してしまい、覚醒したら、焚火のそばに寝かされ、心配そうにのぞき込む監督と光夫の顔があった。
1960 10 01 この映画のクランプアップと光夫の十七歳の誕生パーティーが監督邸で催され、サユリも招待され宿泊しました。

吉永十九本目の作品「この若さある限り」は、浜田光夫・吉行和子の印象が強く、サユリは脇役の感じがした。
浜田演じる高校生が吉行演じる教師に、恋慕の情を抱き、夏休みに千葉の海岸に避暑に出かけた先生の後を追い、旅館で一夜を共にするストーリーで、純情少年の童貞や如何にと、心配させられました。
御演技とはいえ、吉行和子様も、浴衣姿で、何度も何度も、童貞君に付き合わされご苦労様でした。
社会の倫理・道徳と思春期の少年における種族保存本能・生理について、哲学的考察は如何?
浜田光夫はこの時、正真正銘の童貞だったそうである。勃起を耐えるのに必死だったそうである。

小百合の二十四作目「草を刈る娘」
青森の岩木山麓に、血縁単位にわらぶき住まいを作り、草刈り作業をする村人。風習として、妙齢の女性にふさわしい男をあてがい、一緒に作業させる慣習があり、離れたところで一画を任され、草刈りをする男女。
浜田演じる男が野糞をしてライターを落として、乙女演じる吉永が探しに行って見つけるシーン。笑ってしまいますよネ(これぞ臭い仲)
陸奥の大自然にはぐくまれ、祝福されながら、めでたく結ばれたカップルでした。

これから浜田光男が、著書「青春 浜田光夫」で述べてる、とっておきのお話をしてあげますネ。
1961 10 01 浜田光夫の十八歳の誕生日、「草を刈る娘」のロケ先の宿舎で、スタッフが麻雀組と外遊組に分かれ、浜田は後者を選択し、車で四十分ほどの弘前の繁華街に繰り出した。
裕ちゃん仕込みの酒豪に成長してた浜田は、違和感なくキャバレーの客人となった。
この時担当の女性とセックスをして、浜田は童貞を喪失した。

映画界には、そのような段取りをつけるのに巧みな才能を持った人がいて準備万端整えてくれる。

道理で、小百合の二十八作目「キューポラのある街」では、失業したジュンの父親に対して、退職金だとか再就職の世話をしようとしたり、組合活動までする、妙に大人びた、自立した社会人を演じた浜田光夫がいた。

小百合三十四作目の「若い人」ー早熟の女子高校生VSナイスガイの男先生
吉永演じる江波恵子という女性。母親が風俗の女性で、父親が特定できない私生児。この女子高校生が裕次郎演じる間崎先生を愛してしまう。
「この若さある限り」の男生徒と女先生との比較・対象で、この作品は女生徒と男先生。演じる浜田光男は童貞だったと著書で明言してますが、吉永小百合はノーコメント。処女か否処女か。
女優吉永小百合の育った環境からして、大変な役どころでしたネ。
母親が不特定多数の男性を対象にして、酒を飲むと豹変し、手と足を縛られてSM姿態。愛の新世界の鈴木砂羽みたい。
演技論として、江波恵子を演じるのに、女優が処女か否処女かの重要性について、後者の演技も見てみたいナ。



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