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平成の虚無僧一路の日記

虚無僧のルーツ 

2011年11月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



ネットを開けば、なんでもすぐに調べることができる。
すごいことだ。だが虚無僧に関してはデタラメばかり。

まず、日本に普化宗=尺八禅を伝えたのは「東福寺の僧 覚心」、
あるいは「臨済宗の覚心」などと書かれている。困ったものだ。

今でこそ、東福寺の塔頭のひとつ善慧院に間借りして「宗教法人
普化正宗明暗教会」があるが、東福寺との関係ができたのは
明治になってからのこと。鎌倉時代の覚心は高野山(真言宗)の
僧で、唐に渡り、帰国後は和歌山県由良の西方寺の開山となった。

当初、真言宗の西方寺だったのが、臨済宗の興国寺と改められる
のは、南北朝のことなのである。

そして虚無僧のルーツは、高野聖や、全国を遊行した時宗
(じしゅう=時衆=後の遊行宗)に求められる。高野山は真言
密教だが、高野聖や時宗は、諸国を遊行する「念仏宗」なのだ。

虚無僧が それ以前「慕論字(ほろんじ)、暮露(ぼろ)」と
呼ばれていたのは、「一字金輪仏」の呪(じゅ)「のーまく
さんまんだ、ぼたなんボロン、ぼたなんボロン」と唱える
念仏集団だった。


それが、念仏が尺八に代わり、虚無僧が禅宗の一派と
みなされるようになるのは江戸時代で、それは一休の
影響だと私は考えている。

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