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「長屋の花見」タイランドスタイル(2)
2024年03月29日
テーマ:エッセイ
(前回)
そもそもぼくが花見を思いたったのは、サラカーン広場にあるこのカンラパプルクの花が咲くのを見てからである。
カンラパプルクのほのかな薄桃色の花びらの純情さは、日本の桜のようである。花びらを手に取ると、純情さのなかに、かすかな「艶やかさ」をもちあわせていて、花びら全開させると、まさに満開の花見桜である。
タイの寺では祭りのときにカンラパプルクの木を境内に立てる。タイの昔話によると、天国には七色の象たちが水浴びをする池があって、そのほとりに、このカンラパプルクの木が立っているという。
(これらの話は長屋の仲間たちに聞いた話で「史実」とは異なるかもしれませんが、そのまま記します)
カンラパプルクの木の枝には赤、青、黃、緑と色とりどりの布がかけてあって、自分の服がほしい人は、カンラパプルクの木の下にいって、好きな色の布を持ってくればよい。そしてまたこの木の枝には、マンゴーやパパイヤなど、熟れた果実の果汁が筒に入れられて、ぶらさげられている。この果汁は誰でも自由に飲めるようになっていて、あたりは新鮮な甘い香りで満ちあふれているという。
色布と果汁。これらは昔のタイの人たちの必需品、カンラパプルクの木は望みのものが手に入る「夢をかなえてくれる木」であった。
祭りでは、カンラパプルクの枝々にたくさんの色紙の「果実」も結びつける。人々は長い棒でこの「色紙を実」を摘み、そこに書かれた景品をもらえるのである。大人たちも子どものようにたのしく興じる、花のイベントである。
カンラパプルクの木の下の花見は、それでもグラスを重ねるごとに興にのり、少しずつ盛り上がってきた。
イスラム美人は、タイ風ビーフジャーキーがお気に入りで、カウニョ(もち米飯)といっしょによく食べる。白衣の天使たちも花より団子で、ホスピタルが買ってきたお菓子で機嫌もなおったようだ。ブン巡査が「これは日本の花見というパーティである」と大きく書いた紙をテントにぶら下げたものだから、通行人の目も多少やさしくなった。
「どう、日本の花見の気分かい?」
ブン巡査が、姐さんが焼いたエビをすすめながら聞いてきた。
「うん、いい気分だよ。だけどこの「桜」なかなか散らないね。花見の醍醐味は『しずこころなく散る』ところにあるんだよなあ。グラスのなかに桜貝のような花びらが浮かんだりしてさあ」
「散る?」
イスラム美人が「散る」に反応して話に入ってきた。「そういえばカンラパプルクに似ている花で、よく散る花があったわ。なんていったっけ、木の下は花びらでいっぱいになるのよ」
「ターベーブーヤーじゃあないの、それ」
白衣の天使のひとりは花が好きらしい。
天使の話では、ターベーブーヤーは1月から4月ころまで淡いピンクの花を何回となく咲かせるという。
「とても大きなホウキのように突っ立っていた枯れ木のような木が、ある日突然ね、そう、桃色の雲に包まれたようになるのよ」
「いきなり幸せになるところなんか『ファンティ・ペンチン』みたいね」。もうひとりの天使も加わってきた。
「なにそれ?」。ぼくには、はじめて聞く言葉だった。
(つづく)
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