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絆 

2012年01月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

昨年の3月11日の出来事は、あまりにも大きく誰もが皆それぞれの思いを持っているに違いない。人の考え方はその境遇により様々だが、他の人の意見も素直に聞いてみると言うことは積極的な生き方の一つと言える。人は誰も先入観というものにとらわれていることがあるが、食わず嫌いと同じで、やはり食べてみる、聞いてみるのも為になるものだ。
 
昨年2011年を表す漢字が「絆」となった。辞書では、人と人との断つことのできないつながり。離れがたい結びつき。と説明されている。元日の新聞から「絆」についての記事を転載する。
 
 
与うる時、人は「絆」の中に立つ
 
 
2011年3月11日の東日本大震災以来、日本人の心に或る変化が起きて、今までとは違って絆を大切に思うようになったという。そのこと自体は自然で、悪いものではない。しかしそれは今まで絆をあまり意識していなかった人間の心の希薄を浮き立たせた。
 
最近の人間は孤立している。テレビゲームのような架空世界で一人が遊ぶことが許される社会的合意が出来てしまったからだ。昔の子供は友達と遊んだ。学校の帰りには道草もくった。友達とは仲がよい時もあれば、喧嘩をして殴り合うこともあったが、すべて基本は人と人との接触であった。第二次世界大戦の終戦後でも、電話は誰の家にでもあるものではなかった。連絡は手紙で書いた。長い手紙には文章に心をこめた。食べることにこと欠けば、人は借金を頼む手紙を必死で書いた。どの場面でも人間と人間との生の関係、絆は濃厚だった。改めて絆などと言わなくても、生きるということは濃厚な絆の只中にいることだった。地震や津波を体験したから、その大切さに気づいたというのでは遅すぎる。
 
絆の第一歩は、年老いた親や親戚縁者や友人を、災害の時には引き受けることだろう。そもそも絆の基本は、親と同居することだ。自分にとって頼りがいのある人との関係を持つことを絆と考える人がいるとしたら、それは功利以外の何者でもない。海辺の町ごと流された被災者達の多くは、丘の上に新しい町を作るなら、以前通りに同じ町の人たちといっしょに住みたい、と口を揃えて言う。ぜひ古里を復活させたい、という気持ちが嘘だとは言わない。しかし地震の前、どこの地方でも、故郷を捨てて都会に行きたがった多くの若者たちがいたことを、どうして忘れてしまうのだろう。
 
人間にとって故郷とその絆は、懐かしくもあり、うっとうしくもあり、悲しくもあり、胸うずくものである。日本人だけではない。どの民族も同じような矛盾を感じている。絆はなくなってみると悲しく、結ばれている間は辛い時がある。その双方の思いを受け入れるのが絆なのだが、最近の絆への思いは「ご都合主義」の匂いがしないでもない。絆はそれによって得をするものではない。相手のすべての属性を受け入れることだ。絆の相手が金銭や物資の面で気前よく、心遣いも優しく、ものわかりよく、礼儀正しい人ばかりではない。けちで感謝もなく、図々しく自分勝手な人もいる。それらの美点も難点もすべて受け入れることが、絆を大切に思う姿勢というものだろう。絆を求める心が、自分になにかを与えてくれる人を期待しているとしたらそれは間違いだ。慰め、肉体的・金銭的援助、忠告、などを自分に与えてくれる人だけを思い浮かべるのなら、それは功利的なものだから、ほんとうの絆を求める心ではない。絆は、むしろ苦しむ相手を励まし、労働によって相手を助け、親切に語り、当然金銭的な援助さえもすることなのである。受けるだけの関係など絆ではない。むしろほんとうの絆の姿は、与えることなのである。自分が与える側に廻ることを覚悟する時、人は初めて絆の中に立つ。
ほんものの絆は、相手のために傷つき、血を流し、時には相手のために死ぬことだと私は習った。もちろん誰にでも出来ることではない。しかし過去から今まで、多くの事故現場で、自分の安全や利益を捨て、危険を冒して相手の命を救った人たちがいた。2001年のアメリカの同時多発テロでは、明らかに自分の命を捨てて、他者を救おうとした消防士たちのような英雄がいた。絆は自分の利益のために求めるものではない。むしろ自分の安全や利益などを捨てた時に、人間は絆の深さを示して輝くのである。
 
私たちはいつのまにか、ごく普通にコンピューターの画面の中だけで世界や人間を知ったつもりになっていたが、これからは生身の人々の真っ只中に自分を置き、そこから学ぶという姿勢を知るべきなのだ。それは多くの場合、決しておきれいごとでは済まない。摩擦、対立、相克、忌避、誤解、裏切り、などあらゆる魂の暗黒をも見せつけられるが、その苦悩の結果として、深い連帯感という幸福の配当も受けるものである。
 
私にとっては、物心ついてから今まで、濃厚な対人関係こそすべての歓びと苦悩の種だった。私の廻りは常に絆だらけで、私はそれが、良くも悪くもある人生そのものだと考えて生きて来た。テレビの画面でヴァーチャル(現実に対して架空)な、従って薄っぺらな人生だけしか見てこなかった人たちの意識を、悲惨な地震と津波が濃密な現世に引き戻した、としたら、それは我々の人間性復活のための大きな贈り物と考えたい。
(作家 曽野綾子)
 
 

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