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私家版・日豪の比較文化人類学 〜群れから抜け出した羊が見たもの〜

何かおかしい「国旗・国歌問題」 

2012年02月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 しばらく日本の年中行事から離れているので高校の卒業式のニュースに
2月の下旬には、もう巣立って行くのだと改めて知りました。
海外に住み、子供は独立し、時流に疎くなるとこんなことも意識の外に
なってしまうのですね。

 そのニュースは卒業式そのものの話題ではなく、
24日(2012年2月)に行われた大阪府立高校の卒業式で
「君が代」を起立・斉唱しなかった教職員が6校で8人いたという内容でした。

 はっきり言って、いつまでこのバカな問題をグダグダと引きずっているのかと
とても驚きました。
恐らく、こんな問題で社会がギクシャクしているのは世界中で日本だけでしょう。
そんなことに気を使うのなら、機能不全・瀕死の状態に陥っている日本の政治と経済を
少しでも立て直すことに「優秀な能力」を発揮すべきだと思うのですが・・・・・・。

 それはともかく国旗・国歌を論ずる時、一番危険、理不尽で、なりがちなことは
論ずる人を「右か左か」、「保守か革新か」のどちらかに色付けしてしまうことです。
その状態では、各々の考えはそれぞれの側の偏った見識とみなされて
理性的・論理的で公平な議論にはならないからです。
ましてや、浦島太郎状態の私などが首を突っ込むのは場違いかも知れませんね。

 で、私は---国旗・国歌に関する行為は命令で強制されるものではなく、
条例と職権で命令を強制できるものでもない---と思うのです。
それなら、「お前は『左』で、『側』だな」とおっしゃるでしょう。

 でも、誤解を恐れずに言うなら、卒業式で起立・斉唱しなかった教職員の行為は
特に教育現場の中では不適切かつ不遜であると思います。
日の丸と君が代が戦争に利用された悲しい歴史はもちろんあり、それを根拠にした
各々の思想・信条も尊重します。

 しかし、日本の兵隊の誰が心底日の丸と君が代のために命を賭して戦場に
向かったというのでしょうか。
国旗・国歌は形式的に戦争に利用されただけのもので、
それ自体戦争遂行の意味、象徴など持ち合わせてはいないのです。

 そして、本来国旗・国歌は国民の誇りと敬愛の普遍的な象徴であるべきもので
薄っぺらで形式的な思想・信条によって扱われるものではありません。
そして、それを教えることが教師の役割、義務であるはずで、
起立・斉唱を拒否するなら、橋下市長のいうように公務員から去ればよいのです。

 国を愛し、戦争のない世界を築くことと、国旗・国歌を尊重し誇りにすることは
決して矛盾していません。
オーストラリアに住み、折に触れオーストラリアの人々が国旗をうち振り、身にまとって
誇らしげにしている姿を見るにつけ、羨ましく思い、
祖国日本も早く無意味な論争に終止符を打って欲しいと願うのです。



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