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パトラッシュが駆ける!
空茶の京子さん
2013年10月26日
テーマ:テーマ無し
「空茶ですが、召し上がってってください」
これは、いわゆるお愛想と、受け止めるべきだろう。
「どうぞお構いなく」と答えた。
そうしたら、彼女またもや「空茶ですが」と言う。
二度言うからには、まんざら社交辞令でもないだろう。
好意を、無にしてもいけない。
「じゃあ、頂きます」と、上がり框に、腰を下ろした。
この言葉を聞いたのは、何十年ぶりであろうか。
私の親の世代が、よく使っていた。
今はもう、死語に近いのでは、あるまいか。
それを二度聞いて、母を思い出した。
* * *
私は、錠の取り付けで、客のアパートにやって来ている。
商売は、二年前に辞めた。
しかし、一部の商品は、今も倉庫に残っていて、客の要望によっては、
これを活用することが出来る。
今や世界語にもなった「もったいない」を、実践しているつもりだ。
白髪のきれいな人で、老婆と言うよりは、老婦人と言った方がいい。
それが先日、私の囲碁サロンに来て、言った。
「金物屋さんが、何処にもないのです。尋ね尋ねて、こちらに参りました」
確かにそうだ。
この街の金物店は、ほとんど全滅状態となっている。
それもあってだろう、商店街で、誰かに聞けば、私の名が挙がるらしい。
「元」の付く金物屋なのだが。
「いいですよ、やりましょう」
補助カギの取り付けを、了承した。
倉庫に死蔵されている商品を、少しでも減らすことが出来る。
捨てたも同然の商品が、お金に変わる。
これは、少々、気分のよいものだ。
しかし、作業は難航した。
金属製のドアに、ドリルで穴を開け、錠を取り付ける。
この作業を、もう何年も、やっていない。
勘が鈍っている。
手順を忘れている。
焦れば焦るほど、時間ばかりが過ぎて行く。
「大変なんですね。カギの取り付けって」
客に同情されるようでは、私もおしまいだ。
引き受けるんじゃなかった・・・
途中で後悔したけれど、逃げるわけには行かない。
ドアにはもう、大きな穴が開いている。
やっとの思いで、取り付けを終わったところだ。
汗をびっしょり、かいている。
* * *
盆の上には、小皿が置かれ、クッキーが載っている。
だから「空茶」は、必ずしも、文字通りではない。
謙遜語である。
「二年前に、金物店は閉じました。ちょうど古希を迎えたのを、機にです」
私が言っても、ただ頷いている。
女性だからということもあろうが、自分の歳を言わない。
ははあ・・・
私より上、それもかなりだなと、推測される。
「今は、囲碁サロンが私の仕事です。カギは余業です。気が向いた時だけやります」
私が一人で喋っている。
それを黙って聞いている。
呼応して、自分の境涯を語るなんてことがない。
うっすらと化粧した、その顔に、そこはかとない、気品が漂っている。
若い頃は、さぞ美人だったと想像される。
息子がいて、それが、補助カギを付けるように勧めたそうだ。
その息子の匂いが、まったくしないところを見ると、
一人暮らしなのであろう。
但し、独居老人にありがちな、うらぶれ感はない。
見える範囲の室内は、きれいに整頓がなされている。
私も、いい加減な男だ。
急いでいると言いながら、結局10分も居続けてしまった。
空茶が、美味かったのがいけない。
「何かあったら、連絡してください」
領主書を渡し、名刺も渡した。
そうしたら、律義な人だ。
「ありがとうございました」
通りまで出て来て、私を見送ってくれる。
帰る道々、やっと思い出した。
誰かに似ていると思った、その人の名をだ。
女優の香川京子。
爽やかな色気を漂わす、その目の辺りが、実に似ている。
まさか、本人ではあるまいが。
「何かあったら」と言っては来たが、多分何事も、起きないだろう。
ネジも何も、完璧に締めて来た。
これでも、伊達に年期は積んでいない。
絶対の自信がある。
それが、今となっては、少し惜しくもある。
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コーヒーの時代ですから
地域によって、言葉も違うようですね。
もっとお上品に言うと「粗茶」になるのでしょうが、
いずれにしても、今はもう、使われなくなりました。
若い人、日本茶なんか、飲むのでしょうか・・・
2013/10/27 07:36:48
「おちゃ」と「おちゃけ」
近しい関係です。
昔は、寛大でした。
酒にもたばこにも。
お茶受けは、そう、漬物でした。
甘いものが、そうそうなかったことも、あるかもしれません。
お母様、モダンなお名前でいらしたのですね。
2013/10/26 12:11:46
美知子さんの空茶
亡母は、空茶をカラッチャと発音していました。
何も無いとはいえ、自家製の白菜や山東菜を、お茶うけに出すこともありました。
ところが、空茶には別の意味もあります。
湯呑み茶碗に冷や酒を入れて、「カラッチャですが」。
それが通用するのは日中のことで、夜だと簡単でも肴を用意しました。
今より、昼酒に寛大な時代でした。
ブログを拝読して、亡母の美知子さんを思い出しました。
2013/10/26 07:59:50