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ポメママの預かり日記
[転載]狼の山の魂「貪欲人間」
2014年01月31日
テーマ:テーマ無し
<<貪欲人間>>
自分の欲望を満足させるために、
手段を選ばない人間が存在する。
どんな手段を使おうとも欲望を満足させる。
たとえ異種の命を生き地獄に突き落とそうとも、
そんなことは平然と平気な人間が存在する。
「フォワグラ」のことが日本でも話題になったが、
フォワグラの生産過程が如何に残酷無情かを、
多くの人人が知ることとなっただろう。
もし人間ならば絶対に耐えられない残酷環境だ。
しかしどうやら、その残酷実態を知ってさえ、
それでもなお「食いたい!」と言う人が多いようだ。
「それでも食いたい!」とは?
異種の命を生き地獄に突き落とそうとも、
「それでも食いたい!」とは?
そこまでして食いたい!というのか?
フォアグラの場合だけではない。
世界は様様な残酷生産に満ちている。
しかし他の動物の残酷生産の場合でも、
その残酷実態を知ってさえ、
それでもなお「食いたい!」と言う人が多いようだ。
「それでも食いたい!」とは?
異種の命を生き地獄に突き落とそうとも、
「それでも食いたい!」とは?
そこまでして食いたい!というのか?
問題の根本は、
「それでも食いたい!」という欲望だ。
そこまでして食いたい!という貪欲性だ。
その貪欲性こそが問題の根本なのだ。
人間とは、そういう生き物なのか?
そういう貪欲な生き物なのか?
それならば自ら貪欲だと認めればいい。
「人間は貪欲なんだ!」と自認すればいい。
「貪欲のどこが悪いんだ?」と主張すればいい。
そうすれば、話はややこしくならない。
ところがそういう人間は、必ず詭弁を持ち出す。
その残酷生産は酷すぎるという論点の論議でも、
「人間は命を戴かなければ生きていけない!」などという、
「植物も命だ!植物はいいのか?種差別だ!」などという、
著しく論点から外れた頓珍漢な意見を叫ぶのである。
彼らは異種の命の苦しみなど眼中に無いから、
だから残酷実態など、どうでもいいことなのである。
どうでもいいことだから、だから平気で詭弁できるのだ。
普段の日常で平気で草刈する人間が、
普段の日常で芝生の上に寝転がる人間が、
普段の日常で道端の草を踏みつける人間が、
「植物にも命がある!種差別だ!」などと叫ぶのである。
「とにかく食いたいんだ!」と言えば、ややこしくならないのに。
「人間は貪欲なんだ!貪欲のどこが悪いんだ!」と言えば、
話はシンプルに核心に向けて論議されていくというのに。
貪欲人間が「平和!」と謳う。
貪欲人間が「戦争反対!」と謳う。
貪欲人間が「共生!」と謳う。
貪欲人間が「地球環境!」と謳う。
今の世の中は、そういう世の中である。
欲望のままに異種の命を痛めつければ、
人類はどういう未来を迎えることになるか?
大宇宙の道理の根本は大慈悲である。
欲望のままに慈悲に背くことこそ、
それこそが全宇宙で最も重大な背理なのだ。
それは罪とか罰のレベルの話ではない。
罪とか罰の話よりも、もっと厳しい領域の話である。
欲望のままに慈悲に背く無慈悲に対して、
大宇宙の道理がどう働くかを、
いずれ必ず誰もが知ることになる。
例外なく、誰もが知ることになる。
無慈悲の人間は、己自身で慈悲というものを知るまで、
延延と際限なく果てしなく課題を与え続けられるだろう。
己自身で実感するまで、その旅は決して終わらない。
誰に頼もうと終わらない。己自身で実感するまでは。
自分は非肉食者だ。
もう非肉食の生活は長い。
そして絶食行も実践してきた。
自分は氷点下20度の山に棲んでいる。
毎日毎日、長時間に亘り野外活動している。
非肉食でも、身体にパワーが湧きあがる。
風邪も引かず医者の世話にもならず、
来る日も来る日も、極寒の雪山を突き進む。
自分は、この自分の身体で実証していく。
この狼山ブログは、その実証記でもある。
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2014:01:30 ≫
転載元: 狼の山の魂
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