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私家版・日豪の比較文化人類学 〜群れから抜け出した羊が見たもの〜

居眠りの文化 

2014年08月01日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 最近、日本人の居眠りについて書かれた本が出版されて
ちょっとした話題になっていますね。
オーストリア人の日本研究者、ブリギッテ・シテーガさんが著した
「世界が認めたニッポンの居眠り」です。
 
 まだこの本を読んでいませんが、私は日本人の居眠りについて
これまで不思議に思うことがよくあって、
このテーマで私の考えをまとめてみたいと思い続けていました。
その本を読む前に、私自身の考えをまとめておこうと思ったのです。
 
 通勤電車の中や会議、授業中に居眠りをするのは
どこの国でも同じだろうと私たち日本人は考えがちです。
いや、違いがあるなどとは思いもしないと言った方が
当たっているでしょう。
 
しかし、欧米ではとても特異なことだと言われています。
実際、私はニューヨークの地下鉄や鉄道に何度も乗りましたが、
居眠りをしている乗客を見たことがありません。
日本では、中には狸寝入りの人も居るでしょうが、
本当にぐっすり「睡眠」している人もいますね。
でも、降車駅に着くとシャキッとして素早く降りて行くのが不思議です。
 
 日本は電車で居眠りをして無防備になっても安全だとは言えますが、
安全であることが居眠りの直接の原因とは言えないでしょう。
睡眠不足であったり、仕事が過酷で疲れていたり、車中のエアコンが
快適であったり、適度な振動が揺りかごになったり、・・・と
事情は理解できますが、それは世界共通のはずです。
 
 異なる見方をしてみますと、電車で居眠り、狸寝入りをすれば
車中という狭い閉鎖空間でも他人を意識することから解放され、
席を譲らなくてはならないような人が居ても知らん振りができます。
言わば、濃密で厄介な人間関係から解放されたいという欲求が
都合のよい居眠りと言う手段を生んだとするのは飛躍し過ぎでしょうか。
 
 私たち日本人は「公共」という基本的な概念がとても希薄で、
共通のルールやマナーを守ることが身に付いていないような気がします。
電車の中はまさしく公共の場。自分は迷惑をかけていないか、
誰か助けを必要としている人はいないか、不法行為はないか・・・、
目を見開いて気配りしていなくてはならないのです。
その緊張感のなさが眠気を催すことにつながるのではないでしょうか。
 
 会議中の居眠りは、よくそれで給料をもらっていると驚きますが、
得てして日本の会議は長いだけで非生産的、惰性的。
しかも、あらかじめ「根回し」で方向が決まっていますから
特に、長時間労働のサラリーマンには同情したくなります。
国会など議会での居眠りは論外。許してはなりません。
 
また、授業中の学生の居眠りは「学びたい」という意識の学生であれば
しないでしょうし、本人の将来の実力がお粗末になって自分に返って来ることですから自業自得でしょう。
偉そうなことを言う私も学生時代、授業中によく居眠りをしました。
その結果がこの様です。
 
 ところで、最近電車の中で居眠りをする人が少なくなったような気がして
見回してみると、何のことはない。
大方の人はスマホを片手に指を器用に動かしていたり、
画面に見入っていたりしていて居眠りする暇もない様子です。
でも、これも車中の他人を意識しない、したくないという意識の表れだと
考えれば納得できますね。
 
 余談ですが、「居眠り」の「居」には「腰を下ろして座る」という
意味があり、これで「座ったまま眠る」という具体的な状態が
明確になります。「居ながらにして眠る」なら意味不明ですね。
うたた寝は寝床に入らないで、寝るつもりではないのに
つい寝入ってしまうことで、居眠りと似ています。
こちらは生理現象が多いでしょう。

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