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パトラッシュが駆ける!

雁木通りの女将さん 

2015年04月10日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

塩沢宿の酒屋は、商店ではなく、商家であった。
引戸を開けると、先ず、大きな座敷があり、七段飾りの、
豪華な雛人形が鎮座している。
酒の売り場は、通路を挟んだ反対側にあり、ほんの三坪ほどしかない。
武骨な木製の棚に、当地の酒ばかりが十種ほど、
無造作に置かれてある。
お雛さんに比べ、なんという冷遇であろう。

女将さんは、話し好きだ。
「この道路を作るために、各戸がそれぞれ、
5メートルほどずつ、セットバックをしなければなりませんでした」
私達に、地酒の試飲を勧めながら、この町の由来を説明し、
その止まるところを知らない。

「両側の家が、すべて建て替えを余儀なくされました。
一軒でも反対があったら、この通りは出来ませんでした」
町の人々が、宿場町の復興という、困難な目的に向かい、
いかに力を合わせたか、これを言いたいのであろう。

確かにすばらしい町だ。
通り沿いの全ての建物、それこそ、郵便局や信用金庫に至るまでもが、
昔の商家を模して建てられ、全体として、宿場町の風情を再現している。
そして「雁木」だ。
降雪から、歩行者を守る、アーケードのようなものだ。
これが、三国街道塩沢宿の両側、三百メートルほどに渡って、
設けられている。
電柱電線がない。
これが、空を広くさせている。

語句氏が酒を買った。
八海山のしぼりたて原酒「越後で候」四合瓶だ。
「お一人様一本限り」と書いてあり、残りがもう僅かだ。
私も買いたいけれど、リュックの中には、既に他の酒がある。
越後は、飲兵衛には、罪なところだ。
行く先々で、地酒を売っている。
衝動買いをしていた日には、重荷を抱え、動くに動けなくなる。

「私は実は、横浜に住んでいます。妹は東京です。二人して、
一週間交代で、ここに通って来ています」
女将さんは、意外なことを言い出した。
「父が高齢で、もう商売も出来ません。建て替えにも実は、
反対したのです。住み慣れた家で死にたいと」
九十三歳だそうだ。
そうすると、女将さんは、六十歳くらいであろうか。
それにしては若い。

「だから、裏に古い建物を一間だけ残し、そこに今、父は住んでおります」
その言葉に、越後訛りがない。
関東に嫁ぎ、何十年も経っているからだろう。
いや、そうとも言えない。

昨夜の旅館でも、今日の塩沢宿でも、越後訛りはほとんど聞かれない。
私はこう見えて、父が新潟出身だったこともあり、
越後訛りだけは、聞き分けられるのだ。
これは多分、新潟だけの現象ではあるまい。
テレビと学校教育が、各地の方言や訛りを、消滅せしめている。

 * * *

酒屋を後に、私達はなおも、町を歩き回った。
古いお寺がある。
その山門から本堂から、建物という建物が、板により遮蔽されている。
雪囲いだ。

彼岸も近い。
もう降雪はあるまいから、そろそろ取り外すことになるだろう。
しかし、雪は大量に残っている。
ここは豪雪地帯なのだ。
空き地と言う空き地に、人の背丈を越えるくらいに、うず高く積まれている。

せっかく越後へ来たからには、昼食に、へぎ蕎麦を食べたいと思っている。
つなぎに、フノリを使う、この地独特の製法である。
つるりとした食感が、何とも言えず快い。

蕎麦屋はあったのだが、これが普通の蕎麦であって、
“へぎ”ではない。
茶子さんが、タブレットを取り出し、近在の蕎麦屋を当たってくれる。
こんな時、ITに強い人が一緒だと、心強い。

「今日は、火曜日よね」
茶子さんが渋い顔をしている。
ネットで検索すると、何処も休みなのだそうだ。

こうなったら、誰かに聞こう。
そうだ、さっきの女将さんがいい。
私達は、またしても酒屋に戻った。

「へぎ蕎麦ねえ・・・」
やにわに女将さんが、通りを横断し、駆け出した。
向かいの店に行き、そこの窓から、顔を突っ込んでいる。
これが東京と違うところだ。
「向かいの店に詳しいのが居ます。行って聞いてみて下さい」
私達都会人だったら、こんな風に、客を突き放すだろう。

「雲洞庵の近くに、しかご屋という店があります。
そこでへぎ蕎麦を、食べられるそうです」
女将さんが、戻って来て言った。
渡りに舟とはこのことだ。
私達は、その雲洞庵にも行こうと思っていた。

私は、米焼酎を一本、棚から取り出した。
「これを下さい」
重荷にはなるが、この際仕方ない。
女将さんへの、感謝のつもりだ。

銘酒八海山の、その酒蔵による焼酎である。
先ほど、たまたま来合わせた客が、それを二本、
無造作に買ったのを、私は見ている。
彼の買いっぷりに、迷いがなかった。
だから間違いないなと、直感した。

帰って飲んだら、正解であった。
さすがに八海山だ。
25度の焼酎が、ストレートですいすい飲める。
そして後味がいい。
さらに飲みたくなる。
不思議な焼酎だ。

 * * *

私達の乗るタクシーは、魚野川にかかる、橋にかかった。
運転手が、スピードを緩めてくれる。
「あれが巻機山です」
雪を被った、越後の連山が一望のもとだ。
空が青い。

川端康成の「雪国」や、鈴木牧之の「北越雪譜」のイメージとは、大違いだ。
見渡す限りが、底抜けに明るく、そこに憂いと言うものが、
まったく滲んでいない。
但し、人情だけは別だ。
たっぷり滲んでいる。
町で出会った、すべての人が、ホスピタリティに富んでいた。
「塩沢人情宿」と名を変えてもいいくらいだ。

「牧之(ぼくし)通り」
これも良い名だ。
郷土の文人、鈴木牧之への、敬愛がこもっている。
雪深い越後にも、端倪すべからざる、才人が居たということだ。

車は、山裾を目指し、大雪原の中を走って行く。
                 (次号に続く)



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ただの酒飲みでして

パトラッシュさん

喜美さん、
楽しかったです。
何しろ、ご存知の顔ぶれです。
賑やかな旅になりました。
出来ることなら、喜美さんもお連れしたかった・・・

私は、情あり人間ではありません。
ただ飲んでいれば、それでいいというだけの人間です。

2015/04/11 19:00:42

楽しかったでしょう

喜美さん

私はお酒も解らず 何も知りませんけれど 塩沢の人の人情感じながら
師匠の方がもっと情あり人間だと感じました 

2015/04/11 16:46:02

楽しかったー

パトラッシュさん

SOYOKAZEさん、
私は、塩沢宿も雲洞庵も、まったく知りませんでした。
想像した以上に、興趣に富んだところでした。

この度の旅が大成功だったのは、貴女のおかげです。
また企画して下さい。

2015/04/10 14:43:24

もっと買えばよかった

パトラッシュさん

吾喰楽さん、
今頃は、演芸場の佳境にいらっしゃることでしょう。

お酒、無理をすれば、もう一二本、買えたかもしれません。
後で、あれもこれもと、後悔することしきりです。

2015/04/10 14:34:20

是非どうぞ

パトラッシュさん

シシーマニアさん、
一人旅、仲間旅、どちらにも利点があります。
私は、どちらも好きです。

塩沢宿、私も実は知りませんでした。
連れられて行って、えええと、びっくりした次第です。
建物など、ハード面の美しさもさることながら、
客を大切にもてなそうとする、その心根が、町中に行き渡っている感を受けました。

機会がありましたら、ぜひ訪れてみて下さい。
湯沢や六日町に温泉がありますので、それらと組み合わせると、きっと楽しい旅になると思います。

2015/04/10 14:29:49

人情

さん

パトラッシュ師匠 こんにちは。

越後の旅の二日目は、人情に触れた旅でしたね。
牧之通りのおかみさんは、全く都会人の趣でしたが、人情が濃かった!
一人旅で、地元の方の人情に触れたことは何度もありますが、グループ旅では初めてでした。

お天気もよく、ポカポカ陽気に恵まれた一日でしたが、冬には雪に閉ざされ、厳しい生活の新潟です。
その中でも最も雪の多い塩沢宿、その分、温かい人情が育ったのでしょうか?

五十肩が完治せず、おかみさんに何のご恩返しもできなかったことが悔やまれます。

2015/04/10 11:55:23

米焼酎

吾喰楽さん

こんにちは。

演芸場からです。
これからは、池袋で買ったお弁当を食べます。
ワンカップ○○つきです。

私も八海山の米焼酎を、買う方を見ていました。
同じ感想です。
でも、「越後で候」の他に、前日、買った酒があったので、諦めました。
また、タクシーを待っ間、並々と試飲(?)させてくれてのには、感激しました。

2015/04/10 11:52:48

経験してみたいですね

シシーマニアさん

素晴しい情景ですね。
宿場町が復興されているのですか。

地元の人との交流は、複数で旅行すると打ち解けやすいでしょうね・・。
一人旅も、若かった頃はまるでマナーの様に、よく声を掛けられましたが・・。もっとも最近は逆に、老人に対しては警戒も少ない、という交流があります。
人生、経験してみなくてはわからない事が沢山ありますね。

塩沢宿も、俄然体験したくなりました。

2015/04/10 10:50:52

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