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太田知子の いきいき!健康長寿
素晴らしき出会い ピースボート日韓クルーズに参加して(最終回)
2015年08月27日
テーマ:テーマ無し
ピースボートのよさは乗船者同士の交流が持てること。
とくに今回は日本人と韓国人が500人ずつ乗船したので、普段あまり話す機会のない韓国人とも交流できた。
といっても言葉の壁があって、なかなか深い話はできなかったが。
 
韓国人の他にもいろんな国の人が乗っていた。
台湾から1人で参加したタケシ君は16歳の高校生だが、日本語、英語がペラペラでダンスもうまい。
将来、外交官になるのが夢だそうだ。
 
大阪でフランス語を教えているというレバノン人の若い女性はめちゃくちゃ明るい。
大阪弁をまくし立て、多くの人と会話を楽しんでいた。
 
そんな中、二人の日本人女性との出会いは、忘れられないものとなった。
一人は広島被爆者の笹森恵子(しげこ)さん(83歳)。
今回のピースボートの水先案内人の1人だ。
広島での被爆体験を語り、核兵器廃絶を訴えた笹森さん。
その言葉はとても重みがあり、感動的だった。
 
被爆体験を語る笹森さん(中央)
 
70年前の8月6日朝、学徒動員で建物疎開の手伝いにかり出された笹森さんは、爆心地から1・2キロの場所で被爆した。
 
顔も体もひどいやけどを負ったが、両親の献身的な看護で奇跡的に助かった笹森さん。
しかし、顔にはケロイドが残り、口もわずかしか開かず、首も回らなかった。
手は骨まで焼けて、まっすぐ伸びなくなったという。
東大病院で整形手術を受けた後、アメリカ市民の募金で他の原爆乙女24人と共に渡米。
ニューヨークで手術を受け、口が開くようになり、首も回るようになった。
いったん帰国したが、看護師になるため再び渡米。
米国人ジャーナリスト、ノーマンカズンズ氏の養女となり、25歳で高校へ入学。その後、看護学校を出て看護師になり、アメリカの病院で働いた。
 
結婚して男の子を出産。その一人息子に、笹森さんはこう誓ったという。
「あなたは世のため、人のために生まれたのであって、戦争で人を殺したり殺されたりするために生まれたのではない。マミーは二度と戦争が起こらないよう努力するよ」と。
 
そして、看護師として働きながら、原爆体験の証言活動を始めた。
退職後は、ほぼ毎週のように世界中へ出かけ、被爆体験を語り、核兵器廃絶を訴える活動を続けている。
 
英語で被爆体験を語れる唯一の証言者として、80歳を過ぎても、自らの信念に従ってパワフルに活動している笹森さん。
「いつまでもお元気で」と願わずにはいられない。
 
 
今成悦子さん(85歳)とは、韓国の歌手チャン・サイクのコンサートを聴くために会場入り口に並んでいる時に知り合った。
悦子さんの船室で
 
同じ都内在住で、しかも昭和5年生まれと聞いて、とても親しみを感じた。
なぜなら、5年前に亡くなった私の母も同じ年の生まれだったから。
悦子さんも私のことを「この娘は外腹の子です」などと冗談を言って、かわいがってくれた。
 
悦子さんはマルサの女として働きながら子どもを育て、夫を12年間介護してきたという。
夫を看取って70歳になった時、大学へ入学。4年間、歴史を学んだ。
卒業後、世界史の現場を自分の目で見たいと、ピースボートの地球1周の船旅に、何と4回も参加したという。
悦子さんにとっては、今回が5回目のクルーズ。
ピースボートはリピーターが多いので、過去のクルーズで一緒だった人と出会うことが多い。
リピーターに出会うたびに、船内の居酒屋で旧交を温めていた悦子さん。
明るくてユーモアいっぱいの悦子さんは、どこでも人気者だった。
小樽にて 
近く、ご自宅へ遊びに行くことになっている。
悦子さんから、「健康長寿」の秘訣を学ばせてもらおう。
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