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交響曲と私 

2015年10月24日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

ハイドンの交響曲を聞いている。
ひょんなことから、この私が聞いている。

交響曲第何番か。
なんてことは、私の興味の外だ。
ハイドンの「時計」であり、これでもう十分ではないか。
ついでに言えば、ハイドンには「びっくり」という曲もある。
気取って「驚愕」と称する向きもあるけれど、
そう言うやつに限って、「愕」の字が書けなかったりする。

ハイドンの名くらい、義務教育を終えた日本国民なら、誰でも知っていよう。
中学で「交響楽の父」と教えられたはずだ。
中学三年の、音楽のテストに出て来る。
ついでに、バッハも出て来る。
彼はもっと偉い。
ハイドンの上を行き「音楽の父」である。

私は音痴であり、音階もろくにわからない、
音楽劣等生であったが、不思議にこういう知識だけはあった。
実技での得点が覚束ない分、音楽史などの知識分野で、
点を稼がねばならなかったからだ。

「ターララッタ、ターララララ」
その「時計」が、第二楽章に入っている。
「ちょうど、人が歩くくらいの速度でしょう。これをアンダンテと言います」
かつて音楽の先生が、こう説明してくれた。

その通り。
この第二楽章は、朝の公園を、木漏れ日を浴びながら歩く、
人の姿を想像させる。
その歩みは、伸びやかで力強く、そこに一抹の逡巡もない。
歩幅を同じくして、どこまでも規則正しく進む。
それでいて、そこに、規則につきまとう重圧はない。
足音が、高く低く、あるいは軽く重く、折々に響きを変える、そのせいもあるだろう。
豊かにして、心の浮き立つような、歩みとなっている。

「音符ごとに、短く切って演奏しているでしょ。
これをスタッカートと言います」
音楽の先生は女性であった。
若く美しかった。
しかし、私はこの先生を恨んでいた。

先生は「タッタッタッタ」と、手刀を切るようにして、スタッカートを説明してくれた。
「時を刻む、時計のようでしょう」
考えてみれば、決して悪い先生ではなかった。
悪いのは、この私だ。
音才というものが、基本的に欠けていて、そのため、
音楽の授業が、特に実技において、苦痛になった。
それを逆恨みしたに過ぎない。

「びっくりと言う曲はね」
先生は、さらに言った。
余談がお好きであった。
「演奏会の時に、居眠りをする人がいるでしょ」
私は、授業は嫌いだが、この手の脱線は好きであった。

「第二楽章で、突然大音量の和音が現れるでしょ、あれはね・・・」
先生ここで、気をもたせるように、少し長めの休止符を入れた。
「その居眠りをしているお客さんの、
目を覚まさせるため・・・という説もあるのです」
にやりと笑った。
実に、にくらしい先生であった。
これで実技さえなければ、音楽の授業は、どんなに楽しかったであろうか。

 * * *

私は、毎晩九時に、囲碁サロンのシャッターを閉め、
三階の住居に上がる。
そうして、ダイニングキッチンで、一杯やる。
世間の皆さんより、少し遅いが、これが私の晩酌である。

飲みながら、新聞を手に、読み残した記事を探す。
テレビを眺める。
しかし、どちらにも、見るべきものがない。

そんな時、私は、NHKのEテレへと逃げ込む。
教育教養番組主体のチャンネルではあるけれど、
ヒマつぶしには、むしろ向いている。
バラエティ番組の喧騒に、辟易することもなければ、
ニュースに登場する、政治家の顔を見て、気が滅入ることもない。
最近の私は、ニュースを正視することに、もう耐えがたくなっている。

日曜の夜、そのEテレで「クラシック音楽館」をやっていた。
たまたまその日は、ハイドンの特集であり、交響曲がずらり並んでいた。
聞くともなく聞いているうちに、遠い日の記憶がよみがえった。

何時もこうなのだ。
この音楽劣等生が、何かのきっかけで、クラシック音楽を聞く。
聞き出すと、もう、中途で抜け出せなくなっている。
それなら、最初から、自ら進んで、チャンネルを合わせればいい。
コンサートに出かければいい。
YouTubeで聞けばいい。
それをしない。
たまたま出会った、その時にだけ、心を引かれる。
私は、その程度のクラシックファンなのである。

そして、美術でも何でもそうだ。
「その程度のファン」であることが、私には多過ぎる。

 * * *

交響曲「時計」が第三楽章に入った。
これが一転して、力強い。
もう悠長に、歩いてはいられない。

行く手の丘を目指し、駆け上がって行く感がある。
駆け登り、その余勢を買い、流れる雲まで、掴んでしまいかねない。
そんな気概が横溢している。
楽章を通じ、一貫して流れている。
こう言う時、私は、音楽とは何と良いものだろうかと思う。
この交響曲を聞いて、気持の晴れない人がいたら、彼は多分病気であろう。

日本センチュリー交響楽団。
指揮者 飯森範親さん。
たまたまの縁ながら、私に、忘我のひと時を与えて下さった。

音痴だって、曲を聞くくらいのことは出来る。
音楽の成績なんぞ、まったく関係ない。
音程がどうした。
楽器の名や、その役割がどうした。
そんな些末なことは、どうでもいい。
音楽なんて、頭ではなく、ハートで聞くものだ。
これを、言ってやりたい。
戻れるものなら、中学生に戻り、あの先生に言ってやりたい。

「先生もそう思うわ。だけど授業となると、そうも行かないのよ」
その眉を曇らせ、先生きっと言うだろう。



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あの清雅亭で

パトラッシュさん

喜美さん、
静かな清雅亭において、LPレコードを回したら、
それはさぞ長閑で、いいでしょうね。
喜美さんの、芸術への希求心は、よくわかります。
そのレコードを捨てたとは、残念でしたね。
私も、ご一緒に、聞きたいくらいです。

2015/10/24 17:03:41

同病相身互い

パトラッシュさん

吾喰楽さん、
音痴同志、仲よくやりましょう。
私のカラオケは、やけのヤンパチです。
飲んだ勢いで、羞恥心のタガが外れ、恥も外聞も、なくなっております。

2015/10/24 16:58:00

意外性で・・・

パトラッシュさん

シシーマニアさん、
そうです。肩すかしの術です。
だって、鍋パーティの模様は、皆さんが競って書くでしょ。
私まで加わったら、どんな騒ぎになるやら・・・で、しばらく様子を見ます。
多分、皆さんが、微に入り細を穿って、完璧にレポートして下さるでしょうから、私の出番は、ないものと思われます。

音楽について書くときは、少々緊張します。
音楽の専門家(シシーマニアさんのことです)に読まれて、ぼろが出ないようにと、気を使うからです。
それでも時たま、書いてみたくなるのですね。
わからないくせに、聞くのは好きなのです。
シシーマニアさんのピアノも、何時か聞いてみたいと思っております。

ハイドンとモーツアルト・・・
なるほど、その生き方が、音楽にも表れるということですね。
私としては、モーツアルトの方が、好きです。
その不羈の人であることも、含めてです。

2015/10/24 16:53:16

踊りたくなる

パトラッシュさん

SOYOKAZEさん、
ハイドンの交響曲も、いいですよ。
試しに聞いてみて下さい。
気が晴れやかになります。
何となく、前途に希望が湧いて来るような気がします。
但し、執筆の際のBGMには、不向きかもしれません。
心ばかりか、筆まで踊ってしまいそうですから。(笑)

2015/10/24 16:34:55

忘れました

喜美さん

私は誰構わずクラシック音楽好きでした 昔は暇があるとその部屋にこもり
曲流して夢のような穏やかな気持ちでした
勿論結婚して(昔は大判レコードでした)皆持って来たのですけれど
くだらない理由でしたけれど泣き泣き
全部割ってゴミにしました
今は作者も忘れ曲名も忘れましたけれどクラシック音楽は好きです

2015/10/24 14:47:58

音痴

吾喰楽さん

>私は音痴であり、音階もろくにわからない、音楽劣等生であったが、不思議にこういう知識だけはあった。
>実技での得点が覚束ない分、音楽史などの知識分野で、点を稼がねばならなかったからだ。

完璧に私と一致します。
私も音楽の点数は、良かったですよ。
美術が好きでしたが、決められた回数、作品を提出しないといけません。
その点、音楽は一時の恥で済みます。

今は、たとえ酒の力を借りても、カラオケは駄目です。
その点、パトラッシュさんは、大したもんです。

2015/10/24 13:14:56

真面目な私が憧れるのは・・。

シシーマニアさん

又々、師匠お得意の、肩すかしでしょうか・・。
鍋報告記を期待しているタイミングで、交響曲ですか。
タイトルでまず、受けてしまいました。

奇しくも、私も旧師の事など思い出していましたが、師匠の表現はさすがですね。
紳士的ですし・・。

そして、師匠の知識欲は、音楽にも反映されているご様子で、おみそれしました。

毎夜寝る前に、少しずつ師匠のエッセイを読んでいます。文体や雰囲気がアンダンテなので、一気に読み通すより楽しい気がしています。


因みに、ハイドンは沢山ピアノ曲も作曲しています。モーツアルトなどに比べると、ちょっとスクエアな印象があって、余り自分では弾きませんが・・。
多分、貴族の殿様のお抱えだったハイドンと、パトロンから飛び出したモーツァルトと、その生き方の違いかと、勝手に思っています。

2015/10/24 11:38:29

ハイドン

さん

私にとってハイドンは、音楽室の壁にずらっと並んだ、面白い鬘頭の一人にすぎませんでした。
ベートーベンとか、ドボルザークの交響曲が好きだったので、全く記憶に残っていないのです。

音楽の先生はちょっと気障な男の先生でした。
そんなユーモアのある授業ではなかったので、ちょっと羨ましい気もします。

食わず嫌いは止めて、今度聞いてみましょうか。

好きな交響曲だと、その世界に入り込んで、次のお芝居の構想を練ったものです。
今と変わりませんね。(笑)

2015/10/24 10:03:19

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