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パトラッシュが駆ける!

走る女 

2015年11月14日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

若い女が走って来る。
その顔が、笑っているように見える。
背後に、バスが迫っているというのに、道の真ん中を、走っている。
路側に寄り、さっさとやり過ごせばいいのに、彼女は進路を曲げない。

老婆なら、時にあることだ。
車が接近していることに、気付かず、悠揚迫らず歩いている。
車の方も、相手が老婆とあって、クラクションを鳴らさない。
もしも私が、そこへ通りかかったら、老婆に向かい、声をかけるだろう。
「危ないですよ。端にお寄りなさい」と。

この場合、若い女である。
バスは、彼女を追い越そうと試みるが、これをうまく躱しきれない。
運転手の、困惑した顔が見えて来た。
私は、近付いたその女に向かい、腕を伸ばし、手のひらを横に振った。
「おい、寄れよ」
叫んだ。
しかし女は、見えているはずの、私を無視する。
「あー」「うー」
意味の分からない言葉を発しつつ、そのまま駆けて行く。

発狂者か・・・
その後ろ姿を見ながら、一瞬思った。
彼女、衆人の視線を気にする風もない。

百メートルほど走っただろうか。
ようやく女が止まり、バスの方に向き、叫んでいる。
よく聞き取れないが、どうやら「乗せて」と言っているようだ。
なるほど、彼女の立ち止まった路側には、バス停の標識が立っている。

ようやく、事態が飲みこめた。
狂人ではなかった。
彼女は、バスに乗りたかったのだ。
しかしバスは、停留所以外で、人を乗せない。
そこで、前に立ちはだかり、バスをスローダウンさせ、停留所まで導いた。
というのが、実態のようだ。

私は、唖然として、バスの行方を見送りつつ、
彼女の発していたのが、この国の言葉でないことに気付いた。
近隣の国の中には、公共の秩序より、個人の利勘を優先する、
そう言う国民性の人々が、居ると聞く。

 * * *

バスに併走する形で、男が走っている。
歩行者の多い商店街であり、バスはスピードを上げられない。
それを頼りに、男は離されまいと、必死に駆けている。

やがてバスは、停留所に着いた。
追い付いた男は、手を上げて、乗降口の扉を開けさせた。
彼は、バスに乗り遅れまいと、必死に走ったのであろう。
私はそう理解した。

「ああ、よかった」
乗り込んだ男は、つかつかと奥の座席へ行き、カバンを拾い上げた。
事ここに至り、ようやく事態が判明した。
男は車内に、置き忘れをしたのであった。
前停留所において、カバンを持たずに降りてしまった。
発車してから「あ、いけね」となったようだ。

運転手は、併走する男の姿を、ミラーの中に、認めていたようだ。
だからであろう、言った。
「すみませんね、停留所以外では、止められないもので」

男の粗忽が原因であった。
それにしても彼、若いからだろう、体力がある。
走力もある。
バス停一つ分を、走り通してしまった。
これで“うっかり”さえ防げれば、よきビジネスマンになれるだろう。

 * * *

バス停以外のところで、客を乗降させてはならない。
規則では、そうなっているに違いない。
しかし、一度だけ私は、何もないところで、バスに乗ったことがある。

高野山の山上であった。
あそこは広い山域であって、すべての建造物を、
徒歩で見て回るのは難しい。
バスが走って来たので、何気なしに、ひょいと手を上げた。
そうしたら、止まってくれたのだ。
さすがに田舎のバスだなあ・・・
そのサービスに感心しつつ、乗り込んだものだ。

ところがしばらくして、運転手が言い出した。
「本当は、乗せられないのです」
「そうですねえ」
ご無理ごもっともと、頭を軽く下げた。

それで終わった。
と思いきや、数分後に彼は、またもや同じことを言い出した。
「停留所以外では、乗せられないのです」
「そうですねえ」
またもや恭順の意を表した。

後で猛烈に、腹が立って来た。
乗せたのはお前じゃないか。
ぐずぐず言うくらいなら、はなから止まらなければいいじゃないか。

運転手に、逆ねじを食らわしてやればよかったと、後になってから思った。
しかし、言わなくてよかったかもしれない。
高野山は、弘法大師の開かれた、聖なる地だ。
私だって、心の平安を得るために、訪れている。
そこで、諍いを起こしては、聖地に詣でた意味がない。
忍の一字、あれでよかったのだと、今にして思っている。

 * * *

若い頃に比べ、私も今は、大分丸くなっている。
短気だけは治らないので、待つことは依然嫌いだ。

しかし、走っているバスを、追いかけることはしない。
体力がないから、そもそも出来ない。
走っているバスの、前を遮ることもしない。
度胸がなくて、そもそも出来ない。
あの女のようには、図々しくなれない。

停留所以外のところで、バスに向かい手を上げる。
これは、田舎のバスで、またやって見ようかと思っている。



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彼女偉いのかも・・・

パトラッシュさん

彩々さん、
後で見たら、バスの間隔は、20分でした。
20分待つのがいやで、決死的走りに及んだのでしょうかね・・・(笑)
タクシーに乗った方が、ずっと早いでしょうに。
彼女、仕事によっては、成功するかもしれません。

>「欲 張る・見栄 張る・意地 張る」

私も三つは頑張れません。
見栄だけは、いまだに時たま、張ることがあります。
特に女性と一緒の時です。

2015/11/15 11:31:58

運転手の孤独

パトラッシュさん

我太郎さん、
醒ヶ井宿、通りました。(六年前)
そんなバスがあったのですか・・・
乗ってみたかった。
いや、いけない、私は歩き旅でした。(笑)

高野山のバス運転手、話に飢えていたのかも・・・
客は私一人だったから。
誰かと話したくて、仕方なかったのかも・・・
それで、乗せてくれたのかも。(笑)

2015/11/15 11:23:14

頑張る

彩々さん

>彼女、衆人の視線を気にする風もない。

この「走る女」、よっぽど乗り遅れたら困ることが
あったのでしょうか!?

情景が見えるようで笑ってしまいましたが
常に頑張り精神を持った努力の人なんでしょうね。
若い女性として、素晴らしいじゃないですか。

私の座右の銘にしている句に、弘法大師さんの
言葉があるのですが…
(未だに3つ揃えて頑張れない彩々ですが(笑))

頑張るとは…
「欲 張る・見栄 張る・意地 張る」の
三つを張って、頑張るというのだそうです。

2015/11/15 07:28:56

田舎のバス

我太郎さん

滋賀県米原市の醒ヶ井でのことです
醒ヶ井宿は中山道61番目の宿場で、重要伝統的建造物保存地区に指定されていて、昨年建物を撮影に行ったことがあります
ついでに養鱒場に行こうと地元の人にバス停を聞くと、何処でも手を挙げれば止まってくれると言われましたが、心配でJR醒ヶ井駅まで帰ってバスを待ちました
田舎では便数が少ないのでこのようなことはあるようですね

親切ごかし何度も言われると折角の親切が仇になりますね

2015/11/15 00:06:26

批評歓迎です

パトラッシュさん

シシーマニアさん、
恐れ入ります。

短編三つ、オムニバス形式に並べてみましたが、まとまりがありません。
苦し紛れに、最後の段落を加えました。
まあ、これが結論のようなものです。

スリラーめいてはおりますが、結果がわかってみれば、「なーんだ」というところで、インパクトには欠けていますね。

今後とも、思われたことは、忌憚なく書き込んで下さい。
文を磨くことが、私の一生の課題ですので。

2015/11/14 15:03:14

なるほど

パトラッシュさん

風香さん、
今は昔、バスさえも、過去の光景になってしまったのですね。
人口減少と、モータリゼーションがもたらした、一つの日本の光景なのでしょう。
せめても、人の寄り合うバスの方が、人間味があってよかった・・・
と言うのは、感傷で片付けられるかもしれませんが。

2015/11/14 14:53:01

書き忘れました

シシーマニアさん

「走る女」面白かったです。
短編のスリラー、ですね。
情景が時刻を追って見えてくるようで、しかも最後には、異国の人の文化や価値観の違いに思いを寄せる。素晴らしかったです。

それぞれの短編のインパクトが強すぎて、結局最後の二行の感想をまず、書き連ねてしまいました。

師匠を批評するなどと、おこがましい事ながら、再読して、どうしても声をお伝えしたくなりました。

2015/11/14 13:41:43

田舎

さん

今回、実家へ行って思ったのは、
バス路線さえ消えていたこと。
たしか、ここにバス停があって、と、思い出の存在です。
バスの終点はクマでも出そうな山奥も当りまえで、
当然、人が手を上げた所がバス停なのです。

今の田舎は家族一人ひとりが車ですものね。
昔 自転車 今 車 

2015/11/14 13:39:01

規則は規則ながら

パトラッシュさん

シシーマニアさん、
北海道は広いです。
バス停の間隔も、東京辺りとは、比べものにならないくらい、距離があるのでしょうね。
そういうところで、仮に規則があっても、運転手の判断で、バス停以外でも止まってくれる。
これは、いい光景です。

外国に行くと、そういうところが、少なくないのでしょうね、きっと。

2015/11/14 13:08:07

ローカルもいい

パトラッシュさん

SOYOKAZEさん、
郡上八幡に行ったの?10年前に。
結構旅行してるんですね。
もしかしたら、私以上かな・・・

田舎は人口が少ないけれど、その分、住民同士のつながりは強いようで、都会人から見たら、その相互扶助の精神は、うらやましい面もあります。
それを逆に、わずらわしいと感じる人も居るでしょうけれど。

あの辺のローカルバスは、長閑でいいですね。

2015/11/14 13:00:45

長閑な光景

パトラッシュさん

吾喰楽さん、
奄美大島なら、大丈夫そうですね。
乗ってみたいもんです、そういうバスに。

2015/11/14 12:50:04

半世紀前の、田舎なら・・。

シシーマニアさん

子供のころ、札幌の郊外に住んでいました。
広い道をバスが走っていて、二つの停留所の間に我が家がありました。
子供のことで、事の発端は知りませんが、母はいつも、我が家の近くでバスに手を挙げて止まって貰い、長々とお礼を言いながら乗りこんでいました。
往きと帰りと、運転手さんが同じ人だった事もあるくらいで、多分本数も少なかったのでしょうね。
のどかな時代でした。
60年近く前のことですが。

海外の田舎に行くと、懐かしさを覚えることがあります。子供のころの故国に通じるものがあったりするので・・。

よく言えば、規則よりその場の人情でしょうか。

2015/11/14 10:46:50

郡上八幡のバス

さん

パトラッシュ師匠 こんにちは。

もう、10年前になりますが、郡上八幡から美濃市に行くローカルバスでのことです。
このバスは、停留所でなくとも、かなり年配のお馴染さん(?)を家の最寄りで下ろしていました。
乗り降りも、乗客が黙って立って、当たり前のように手伝って。

居眠りをしていた高校生に、「おい、着いたぞ。起きろ」と運転手さんが声を掛け、慌てて起きた彼は、ぺこりとお辞儀して降りました。

なんだか、とても心温まったできごとでした。

同じバスでの出来事でも、様々ですね。

2015/11/14 10:24:41

奄美大島

吾喰楽さん

40年前のことです。

大島空港から名瀬行のバスに乗りました。
乗る時、「大熊の入口で止めてください」と、運転手に頼みました。
大熊入口という、バス停がある訳ではありません。
勿論、事前に訪問先の方から聞いてのことです。
初めての地ですから、「ここで」何て、云えません。
やったことはありませんが、乗る時は、手を上げると止まってくれるそうです。

今は、どうなんでしょうね。

2015/11/14 09:33:47

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