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心 どまり

涅槃(ねはん)雪 

2016年02月27日 ナビトモブログ記事
テーマ:回想

 一昨日未明、雨から変わった雪が薄っすらと積もった早朝の景色を眺めておりまして、『涅槃雪』と言う春の季語が浮かびました。

 『涅槃雪』とは、お釈迦様の入滅の日(陰暦2月15日)に遺徳追慕と報恩の為の法要である涅槃会(現3/15)の頃に降る雪の事です。
春が近付くに連れ、根雪も解けて残り少なく成って来ます。
比例して残雪は、真っ白では無く汚れも目立って来ます。
その様な時季に降る最後の春の雪は、一瞬にして汚れ(穢れ)を包み隠し、真っ白な(純白の)世界に変えてくれるのです。
其の『終い雪』を『涅槃雪』と呼ぶ事を教えてくれましたのは、若かりし頃通っていたスキー場の民宿のお婆ちゃんでした。

 当時敢えて、スキー場内のホテルでは無く、民宿に泊りましたのも、この様なふれあいに魅かれていたからでした。
親しくなってからは、忙しい時など民宿のお手伝いも!
その様な経験の中で、厳しい雪国の暮らしを垣間見られた事は、貴重な体験でした。

 定期的に行う雪掻きや雪下ろしは言うに及ばず、その他多々ありますが、一例に、野菜等を外気に曝して置きますと凍ってしまいます。その為、天然の冷蔵庫で有る雪の中に埋め保存して置くのです。
毎早朝、そのお野菜を掘り出しに行くのですが、其れは々、寒い事! 否、寒いなどと言うものではありません。外気が頬に刺さり痛いのです。
吹雪いている中、スキーリフトに乗っている時より以上に、寒く感じたものでした。
正に、”凍てつく”とか”しばれるね〜”と言った感覚です。

 その様な極寒の生活の中で、お婆ちゃんが教えてくれた楽しみがありました。
其れは、温泉街の共同浴場!それも”夜が更けてからの”です。

 一通り観光客が去り、店終いをした地元の人達が、敢えて自宅のお風呂では無く、共同浴場に集まって来ます。
其処で、井戸端会議ならぬ”風呂会議”所謂”お風呂談義”に花が咲くのです。

 地元のおばちゃん達の訛り言葉のお喋りは、殆ど理解不能でしたが、其の優しい響きに、聞いているだけで心が和んでくるのです。
帰り道、民宿のお婆ちゃんの通訳(w)にも、人生の機微が感じられて・・・

 『涅槃雪』とは、別の名を『名残雪』とか『淡雪』『終い雪』などとも呼ばれます風流な春の季語です。

 白木蓮の蕾の産毛の上にも、綻び始めた寒椿や春告げ花(福寿草)の蕾の周りにも薄っすらと積もった雪は、朝陽に照らされ、正に儚く消える『淡雪』の如しでした。

 先週、従兄が他界しました。
享年67才。闘病生活は二年間に渡り、最後の頃は週三回の透析も!
”諦めは付いた”そう自分では思っていたのですが、告別式のBGMに・・・
酔うと必ず石原裕次郎さんがお決まりでしたし、風貌や声は増位山大志郎さんに良く似ていまして十八番(おはこ)でした。
故に、お二人のヒット曲をBGMに決めたのですが、聞こえて来る歌声は、まるで彼が歌っている様で・・・

 納棺された彼の薄っすらと笑みを浮かべている様にも見えるお顔は、お釈迦様に似て・・・

 その様な想いが、白木蓮の蕾に積もった僅かな『淡雪』の形が、涅槃像のお姿に見えたのかも知れません。

 兄妹の如く、付かず離れず過ごして来た様に思います。
心に開いた穴は、日が経つ程に大きくなって・・・
此処十日が過ぎましたが、何も手に付きません。
UPしました拙な作品やブログに、沢山の拍手を頂戴致しておりますのに、御礼が儘なりません事、どうぞお許し下さいませ。
本当にありがとうございました。
感謝致しております。



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