ウイールマン

二つの祖国 

2016年06月10日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

5月11日午後7時15分 SQ11便は,予定どうり成田到着。

何年ぶりの日本だろう。

この前同じように成田に着いたのは6年前。

やはり成田空港はあたたかく ”お帰りなさい“と出迎えてくれた。

忘れもしない42年前、あの時は羽田空港からアメリカに飛び立った。

日本で大学を卒業し、ふとしたきっかけでアメリカへの留学。

それは1969年、47年前の出来事だった。

当時日本からアメリカ本土への航空便は、日本航空の周3便のみ。

ボーイング747ジャンボはなく、もっと小型のDC8。

それもロスアンジェルスまでの飛行距離はなく、かろうじてサンフランシスコまでしかいかない。

その後はアメリカ国内便で、サンフランシスコから1時間かけてロスアンジェルスまで。

ロスアンジェルスにつき、そして初めて見るアメリカ。
見る物すべて別世界。

そして一言 ”あーこれがアメリカ“

留学と言ってそこには大きな壁。
人生はじめて遭遇する経験。 

学校に行っても先生が何を言ってるかも分からない。勿論こちらの片言の英語も通じない。

話が通じる日本人もいない。それから来る孤立感。

あの時は、ただいつの日か日本に帰る。

その帰れる日までジーット耐えるしかないと思いを過ごした日々。

学校は半年でドロップアウト、そして学校には行かなくなった。

様子を分かった実家からは、親の言うことが聞けないのなら、これ以上サポートすることは出来ない。

これからは生活費は送らないと、送金をストップされてしまう。

放浪生活の始まり、そして髪の毛をのばしヒッピーの仲間入り。

当時アメリカはベトナム戦争ですさんでた。

反戦運動を象徴するかのように、皆と同じアメリカ国旗を逆さまにジーンズに貼り付て歩く。

ベトナム戦争ですさんだ社会、そしていつかは徴兵され、戦場に送り込まれるかもしれない事に対する挑戦だった。

そして映画で象徴された、自由を求めるイージーライダー

出来たヒッピー仲間も、イージーライダーようにヒッチハイクで大陸横断に挑戦。

勿論自分もみんなと同じように、ニューヨークをめざし大陸横断を始めたが、、、皆と違うのは、ポケットの中には100ドルしかなかった。

行くと決めたからには何とかなるだろう出発。

出発前にふとしたことからシカゴから来た若者に出会った。彼も同じ学校に行っていた。

夏休みなので故郷のシカゴまで車で帰るから、乗せて行ってあげるとの事。

彼の名はトム。

そして3日かけてシカゴまでたどり着いた。

シカゴではトムの家族があたたかく迎えてくれ、3日ほどトムの家に滞在。

そしてあとはニューヨークに向かう。

ヒッチハイクは危険だからというトムの意見を聞き、なけなしの100ドルでバスのチケットを買う。

一昼夜をかけてニューヨークに到着。

知り合いの、倉庫のようなアパートに転がり込む。

廊下のようなところにマットをひきその上に寝る、そして次の日から職探し。

ポケットの中の残りの金はわずか。

一日の食事は、朝抜き、昼は25セントのホットドック一つ。夜は二つだけで暫く過ごした。

生まれて初めて経験する、このまま遠い見知らぬ土地で、行き倒れするかもしれない恐怖感。

何とかグリニッチビレッチの小さなレストランに、皿洗いの仕事を日給15ドルで見つける。

そして何とかロスまで戻る費用を作るため、毎日7日間、夕方5時から夜12時まで働いた。

毎日支払ってくれる15ドルの日給を靴下の中に隠し、酒とマリワナの匂い、そして人の諍いの聞こえる戦場のようなスラム街を通り帰って行く。

そして何時もおそってくる、ホームシック。

ある日レストランに働きに行く途中、旅行中の裕福そうな、日本の若い4人ずれのカップルがこちらに来るのが見えた。

同じ日本人の若者として、あの人たちから見た自分はどう映るのだろう。

今着てるシャツはもう何週間も変えていない。ジーンズは油と埃にまみれてるし、まるで浮浪者のようだ。

とっさにビルの陰に、若いカップルを避けるようにかくれた。

そしてその若者たちが通り過ぎた後の道には、日本の匂いが漂っていた。

自分が追い求めた夢はなんだったのか。故郷日本がだんだん遠くなっていった。

そして1994年、1年半ぶりにあの憧れの日本に帰った。残してきた恋する人もいた。

しかし何かが違っていた。アメリカにいる間、故郷日本を美化しすぎたのだろうか。

それともアメリカで自由奔放に暮らせた時間が、自分を変えてしまったのだろうか。

それからの日本での3年間。
又自分を見失ってしまった3年間。

やはり本当の自分を取り戻せるのはアメリカ。

またアメリカンドリームを追いかけること。

自分の愛する家族、将来結婚しようと約束した恋人、長い付き合いの友人達を後に、再びアメリカへの機上の人となる。

あれからもう42年、、、

42年間の間に日本帰国は何回もあった。仕事の関係で年1回は帰国していた。

しかし今回は特別の思いだ。

今年で70歳になる。あと何年生きられるか。

幸運にもアメリカンドリームは、すべてかなえた。
馬車馬のように駆け回ったあの頃。

夢は手に入れてしまえばそれが現実となり、夢ではなくなる。

ちょうど古いトロフィーを眺めているような。

そして60歳を過ぎたころから急激に襲ってきた、燃え尽き症候群。

晩年はあの恋しい故郷日本で過ごしたいという思い。

アメリカで晩年を過ごすのは寂しすぎるのか。

42年たった今、また日本はあたたかく迎えてくれた “お帰りなさい”

でも暫くすればまたアメリカに帰らなくちゃいけない。

それは新しく作った家族が待ってるから、、、、、

きっとアメリカもあたたかく“お帰りなさい”と言ってくれるだろう。



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