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久し振り、スポーツの話題です。感動、期待、う~n、そして、頑張り感動・・・!!! 

2016年07月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

久し振り、スポーツの話題です。

まず、何と言っても、
米メジャーリーガーのイチロー選手、
3000本安打まで、あと6安打に成りました。
   楽しみ & 脱帽です。

大相撲は、まずは、
横綱白鵬関と大関稀勢の里関の健闘!!!
   私の希望では、
   稀勢の里関が、白鵬関を破って、優勝、そして、来場所横綱に!!!
     が理想やけど、そうは問屋が下ろさへん!
         のが、スポーツの世界です。
        ですが、理想通りに行きますように。
        

それと、
リオ五輪に、
日本の選手陣が、出発、と報じられています。
     棄権選手も出ている中で、
     ブラジル・リオデジャネイロの治安や熱病対策も心配です。

日本プロ野球オールスター戦は、
とりわけ、
大谷翔平選手(日ハム)の大活躍・・・!
     目を細めて見てました。





もう一つ、爽やかな話題は、
生活苦高校球児の頑張りの記事です。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160717-00000010-asahi-spo


生活苦と闘う定時制球児、最後の夏へ
「もう逃げない」
心打たれました・
     この頑張りは、
  生涯、君の人生を、励ますだろう!!!
   そして、多くの人を励ましてる!!!

【時間が経てば、感動の記事が消える可能性がありますので、記事を転載させて下さい。m(_ _)m】
アルバイト先のそば店の厨房(ちゅうぼう)に立つ大庭佳。働き始めて3年目。今では店にとって欠かせない働き手だ=13日、東京都大田区

 練習によく遅刻する。早退も当たり前。定時制に通い、生活苦から脱するためにアルバイトを掛け持ちしているからだ。野球から逃げたこともある。1人で再出発した野球部は11人になった。仲間と最後まで戦ったこの夏は、きっと自分の支えになるだろう。

    ◇

 2日、東京都内のそばチェーン店厨房(ちゅうぼう)。神奈川県立川崎高校定時制3年の大庭佳(おおばけい)(18)が働いていた。家計を助けるために始めたアルバイト。朝6時からのコンビニ勤務も含めて週20時間。仕事を終えて、午後3時すぎの授業まで、全日制と一緒の野球部の練習に充てられたのは1時間だ。

 佳が5歳の時に両親が離婚。中国出身の父と再婚相手に育てられた。実母は7歳のとき亡くなり、顔もはっきり思い出せない。小学5年のとき父が中国留学を勧めてくれた。「帰国子女って格好いいかも」。2歳上の姉と福建省の学校に通った。中国語が操れるようになった。中学2年で帰国した。

 小学生の頃にやった草野球の興奮が忘れられず、県川崎の定時制に入って野球部に入部した。その5月、姉から「お父さん、長くないかも」と告げられた。父は重い病に侵されていた。「親孝行もできていないのに」。涙をこらえるのに必死だった。

 父は入退院を繰り返し、職を失った。稼いだ月約10万円のうち4万円を父の治療費に充てる。残りで野球用具や学費を工面する。

     ◇

 1年の夏、横浜スタジアムであった神奈川大会の開幕試合。ベンチから声援を送った。惜敗し、先輩の前で誓った。「このチームは僕が守っていきます」

 先輩が去り、1人になって監督と2人で練習した。2年の春に1年生5人が入部。主将になった。野球部以外の生徒にも協力してもらって臨んだ夏は初戦でコールド負け。直後の練習試合も大敗した。無気力になり、グラウンド整備に誰一人出なかった。「全員辞めろ」。監督の怒声が響く。1年生が謝りに行く中、1人動けなかった。

 時間をやりくりして練習しても上達しない。チームを守るとの覚悟が消え、練習に行けなくなった。

     ◇

 ある日、学校でキャッチボールをして遊んでいた。「野球部を辞めると絶対後悔するぞ」。横浜スタジアムでの試合で引退し定時制に通う岸井聖弥(20)から言われた。岸井も経済的余裕のない家庭で育った。4人兄弟の次男。母や兄弟と離れて祖父母の家で暮らす。野球を最後まで続けられたことが救いだ。そんな実感から出た言葉だった。

 忙しい毎日の中、悩み考えた。今年4月、久しぶりに練習に行った。部員が増えていた。就任したばかりの古川雅一監督(57)に頭を下げた。「また野球がしたい」。勝手な言葉と分かっていた。振り返ると後輩は笑顔だ。「ごめん」と心でつぶやいて飛び込んだ。「もう、逃げない」。

 17日、神奈川大会初戦。スタンドからは応援に駆けつけた岸井の声が飛ぶ。11点を追う五回、最後の打者になったのは佳だった。打席で「オー!」と雄叫(おたけ)びをあげたが、見逃し三振でゲームセット。唇をかみ、相手校の校歌を聴いた。

 球場の外で岸井に抱きしめられた。「ありがとうな! 最後まで野球を続けてくれて」。グラウンドでは涙が出なかったのに、岸井の肩に顔をうずめ、ひたすら泣きじゃくった。

 これからまた、家族を支えるためのバイトと勉強の日々が始まる。「どんなにつらくても耐えて生きていく」。そう言って球場を後にした。=敬称略(長谷川健)

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