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年賀状余聞 

2017年01月14日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

「年賀のご挨拶は、勝手ながら、これを最後とさせて頂きます」
賀状の余白に、肉筆で、こう書かれてあった。
北関東に住む、従弟からである。

叔母さんの葬儀以来だから、もう十数年、会っていない。
この先、会うこともないだろう。
血脈だけの縁が、年賀状一本で、辛うじて繋がっていた。
それを断つ。
つまりは、親戚づきあいを、終了しましょうということだ。

仕方ない……どころか、むしろ歓迎だ。
既にして、私達世代が、人口ピラミッドの七〜八合目に居る。
人生を終える日が、現実味を帯び、近付いている。
子や孫にまで、引き継がす縁ではない。
それなら、早めに整理をする。
あの、暢気な従弟がねえ……
よくぞ言い出してくれたと、その果断に、
敬意を表したいくらいだ。

そう思うくらいなら、自分から、言い出せばいい。
短気者を標榜する、私が、それをしなかった。
出来なかった。
内心、忸怩たるものがある。

 * * *

毎年歳末に、年賀状を書く。
その際は、前年分の賀状を、手元に置き、行う。
元旦着がほとんどだが、三日着、五日着、さらには、
七日着なんていうのまである。
遅着であり、それらには、付箋を貼り、その旨を記してある。

その遅れを、どう見るかである。
多忙により、年末に出しそこなった。
ということが、先ず考えられる。

あるいは、こういう事もあろう。
既にして、交際は、疎遠になっている。
そろそろ賀状をやめたい。
しかし、元旦に、私からのそれが、届いてしまった。
返信を出さざるを得ない。
それで、遅れて出した。

彼は、親戚でなく、友人でもない。
強いて言えば、知人と言うことになる。
しかし、会ったことがない。
ネット上の付き合いから発した、つまりは、メル友ということになる。
そのメールでさえ、昨今、途絶えている。

それでも、年賀状だけが、続いている。
何時止めてもいい。
しかし、来るから出す。
出すから、来る。
もしかすると、相手もまた、同じことを、考えているかもしれない。

そういう賀状が、何枚かある。
困ったものだ。
双方の優柔不断が、こんな悪循環を、引き起こしている。

 * * *

遅着も遅着、七日に来たのがある。
この人、去年も同じく、七日着であった。
いかになんでも、悠長に過ぎる。
そこに、敬意というものが、感じられない。

呆れた私は、今年とうとう、出さなかった。
かつての、囲碁の生徒である。
もう三年も、私の元へ、顔をみせていない。

彼は、歳でもあり、時間の観念が、薄れているのかもしれない。
まだ、松の内だ。
いいじゃないか、正月に変わりは、ないのだから……
とでも、考えているのかもしれない。

もう一つ、悪意にとれば、こんなことも考えられる。
印刷した葉書が、余ってしまった。
郵便局へ持ち込めば、手数料はかかるが、新しい葉書に、
取り換えてくれる。
しかし面倒だ。
誰かに出してしまおう。
幸いにも、出そうか出すまいか、迷っていた人がある。
えーい、そいつに出してしまおう……
廃品として、処分をするくらいなら、年賀はがき本来の、
使命をまっとうさせる方が良い。
彼が、そう考えた可能性も、なくはない。

遅れて来た葉書を、机上に並べ、眺めている。
勘ぐるつもりはないのだが、つい、想像してしまう。
葉書の紙背には、投函者の様々な思いが、透けて見えないでもない。

 * * *

いっそ、年賀状なんか、全部、止めちまおうか……
ということは、私だって、思っている。
「本年を最後とし、来年からは、年賀状をお出ししません」
こんな宣言をしたら、さぞ清々するだろう。

しかし、そこまでの踏ん切りがつかない。
私には、捨てきれない縁がある。
人生の中の、数年を、共に過ごし、
様々な教示や示唆を受けた、仲間が居る。
知恵を授かり、勇気をもらった、尊敬すべき、先輩も居る。
さらにはまた、こんな私でも、慕ってくれる後輩が居る。

これらを全て、切ってしまってよいか……
私には、出来ない。
例え、賀状一枚でも、繋がっていることに、意味がある。

もう一つ、これは、私ならではの、理由がある。
昨今、手紙離れが、進んでいるらしい。
背景には、メールやラインなど、手軽な通信手段の発達がある。
手間ひまかけて、文字を書くことが、億劫になっている。
そう言う人が、増えている。

私は、紙の媒体により、これまでの人生を生きて来た。
新聞、雑誌、書籍なくして、今の私は、あり得なかった。
手紙にしても、そうだ。
随分と、恩恵を被っている。
今の世では、その葉書や封書を、用いる者が減っている聞く。
新聞もそうだ。
発行部数は、減少の一途をたどっているらしい。

恩義あるものを、見捨てるわけには行かない。
私は、死ぬまで、新聞を購読するつもりでいる。
手紙も同じくだ。
出せるうちは、なるべく、手紙を書こうと思っている。

日本郵政株式会社にとって、年賀状は、いい稼ぎになるらしい。
通常葉書の赤字を、補って余りあるという。
それでいい。
たんと稼いでおくれ。

私は、死ぬまで、年賀状を、出し続けようと思っている。



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年賀状

みのりさん

パトラッシュさん

 ご無沙汰しています。
年賀状 私も最近はメールで
済ませることが多くなりました。
主人が印刷して出してくれますから
私は誰にだしたのかわかりません?
年賀状はやめたいですね

2017/01/20 19:16:44

いずこも同じ

パトラッシュさん

吾喰楽さん、
多くの人が、年賀状を出すことに、疑問を持っているようです。
虚礼ではないか……
無意味ではないか……と。
でも、止められない。
貰えば、うれしいということが、あるからでしょうね。
他の断捨離は励行しても、年賀状は、邪魔にならないから、続けることにしました。

2017/01/14 12:02:04

私も

吾喰楽さん

この十年来、いつ年賀状を止めようか、考えて続けました。
でも、最近は、出し続けることに決めました。
その辺りの気持の推移は、パトラッシュさんと、ほとんど同じです。
私にも、三日着、五日着、七日着がありました。

2017/01/14 10:19:42

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