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パトラッシュが駆ける!

眠りたまえ 

2017年11月04日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

顔を上げ、駅名を見たら、中野新橋であった。
いけない、一駅過ぎている。
中野坂上で、乗り換えねばならないことを、すっかり忘れていた。
これだから、丸の内線は嫌いだ。
たまに、支線に入ってしまう、電車がある。

どうしよう……
ドアは、まだ開いている。
急げば、飛び降りられる。
しかし、周囲の目というものがある。
慌てふためく姿を、皆さんに、お見せしたくない。

乗り越し……それが何だ。
行き過ぎたら、戻ればいい。
時間が少々、かかるだけではないか。
それより、醜態をさらす方が、よほど情けない。
私は、そのまま座り続け、次の駅まで運ばれ、
そこで、何食わぬ顔をして降り、反対方向の電車を待った。

私は短気な性格であり、常に気が急いている。
しかし、何が何でも、というわけではない。
それが「みっともない」ことになるなら、そちらを回避するため、
短気の方は、これを、一時抑制する。
人に笑われたくない。
蔑まれたくない。
それらのためには、「武士は食わねど高楊枝」も、
やむを得ないと思っている。

 * * *

酔っていたわけではない。
自慢ではないが、私は、飲酒後の方が、気は確かだ。
酔ったら、もう、帰路のことしか、眼中になく、
何かの、考え事をする、なんてことがない。

私は、正気であり、しかも、本を読んでいた。
小説ではない。
随筆でもない。
囲碁の参考書である。
「強くなる手筋」
これに、様々な問題が出ている。
囲碁の局地戦における、奇策、妙策、打開策などである。
解答は、次ページにあるけれど、これを安易に見てはいけない。
自力で解くようにしている。

解けないと悔しい。
そこで、考える。
囲碁では、これを「読む」と言う。
一心不乱に読む。
今や、他のことでは、滅多に頭を使わない私が、時を忘れて考える。

他では出来ない。
自宅では、特に、気が入らない。
電車内、特に、地下鉄の中で、集中力が増すのは、窓の外が暗く、
変化がないからだと思っている。

その結果として、乗り過ごした。
これは、もしかすると、自分を褒めるべきことかもしれない。
今の私は、怠惰に流され、何かを行うについて
「一心不乱になる」なんてことが、なくなっている。

 * * *

その前日に、こんなことがあった。
私と妻は、東京駅から、中央線の快速電車に乗り、帰宅しようとしていた。
始発駅であるから、到着した電車は、ここで折り返し運転となる。
「あの人、降りないわ」
席に座った途端、妻が言った。
ほら……と、視線を向けた、その先に、眠りこけている、
若い男の姿があった。
真っ昼間でもあり、酔っているようには見えない。

「教えて上げようかしら」
妻が言った。
終点ですよ、降りなくていいのですか?というわけだ。
「やめときなよ」
私は止めた。
彼が、あまりにも、気持良さそうに見えたからだ。
熟睡し、ほとんどもう、忘我の境という感がある。

「仕事に遅れでもしたら、可哀想じゃない」
「大丈夫。あれは、仕事を終えた後の、安堵の眠りだ」
仮に、商談に遅れたとしても、それは当人に、緊張感がないからだ。
自己責任と言うことがある。
男は、一歩外に出たら、七人の敵ありとも言う。
懲りることも、人間には、必要だ。
そうでないと、また、同じことを繰り返す。

何時、目覚めるか……
実を言えば、それが楽しみでもあった。
ここは、何処だ?
彼は、しばらく、右顧左眄するであろう。
電車が止まり、その駅名を見る。
四ツ谷か、まだ大丈夫だなと、安堵する。
しかし、何かおかしい。

「次の停車駅は、しんじゅくー」
車内にアナウンスが響く。
その時の、彼の顔が楽しみだ。
え、え、え……
目を瞬かせる。
口は、半開きのままだ。
現状を把握しようとして、彼の脳は、フル回転している。
その様子が、見られるかもしれない。

私は、電車が止まる度に、彼の様子を窺がっていた。
しかし驚いた。
彼は、私達が下車する、西荻窪駅に着いても、まだ、
その熟睡から覚めなかった。

 * * *

私の友人に、似たような男が居た。
何人か居た。
中央線の終電車で、気付かぬうちに、終点の高尾まで運ばれてしまい、
高いタクシー代を払い、ようやく帰宅した者が居る。
さらには、車掌の点検を、どうかいくぐったか、車庫にまで、
運ばれてしまった男も居る。
これは、車内で一夜を明かし、始発電車で帰って来た。

東京―高尾間を、二往復した猛者も居る。
いずれも、酔っ払ってである。

それらに比べたら、私の一駅乗り過ごしなんか、他愛もない。
スケールが小さ過ぎ、自慢にもならない。
武勇伝は、大きいほどいい。
私は所詮、小心者ということになる。

 * * *

昨日の今日である。
因果は巡る。
乗り過ごした若者の、恨みが、私に及んだ……と考えられなくもない。
妻の言うのが、正しかったかもしれない。

しかし、深く考えることもない。
私は、二十分ほどの遅れで、帰宅を果たした。
その間にも、一心不乱の読書をやった。

あの若者にだって、事情があったかもしれない。
会社に戻ったところで、小うるさい上司が、待っている。
次の仕事を、押しつけるだろう。

業務にかこつけ、睡眠を取る。
それには、電車の揺れが、最も心地よい。
彼の乗り過ごしは、計算づくであった可能性がある。



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読書会やりましょうか(笑)

パトラッシュさん

漫歩さん、
春樹より、藤沢周平の方が、断然いいですね。
「山手線読書」には。
何周で読めるか……
そこが問題ですが。

2017/11/04 20:26:39

実に愉快!

漫歩さん

自分が同じ体験をし、その時思ったこととほぼ同じことを思っていたひとが、巧みな
文章がで経緯を書いものを読みました。

これは実に愉快で共鳴し、同志愛すら感じました。

一つだけ異なるのは、私の読み耽っていたのは、藤沢周平の「一茶」でした。

2017/11/04 15:35:10

名案です

パトラッシュさん

シシーマニアさん、
山手線の良いところは、居ながらにして、元に戻れるところです。
格別の用がなければ、そのまま乗り続けているというのは、名案ですね。
揺れは、ゆりかごの揺れ、アナウンスは子守唄と思えば、こんな快適な居眠りは、ないと思います。

同じ東京都内であっても、巣鴨、日暮里、上野、東京、品川、渋谷……と、少しずつ、光景が違いますしね。

また、読書にも良いかもしれません。
村上春樹を一冊、何周する間に読めるか……
実験したりして。(笑)

2017/11/04 15:10:53

山手線での、熟睡

シシーマニアさん

先だっての上京の際です。

山手線に乗っていて、息子との待ち合わせの時間より、1時間くらい前に池袋に着いてしまいました。

どうしようかな、と考えながら、私は山手線に乗り続けて、一周する事にしました。

荷物もあったし、電車は丁度良く冷房が効いていて、乗客数も余り無く、私が座り続けて迷惑になるとも思えませんでした。

そして、すっかり安堵した私は、何時ものように眠りこけてしまいました。

時折目を覚まして、駅名のチェックもしましたが、何しろ何処で降りても、大した違いはありません。

でも、もしかしたら、親切な方が、熟睡している荷物持ちのシニアを、心配して下さって居たかも知れませんね。

2017/11/04 09:46:56

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