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パトラッシュが駆ける!

相撲のおかげ 

2017年12月09日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

悠太のやつが、口を歪め、目をこすっている。
一年生であり、囲碁将棋部に入部して、まだ半年しか経たない。
「ぶたれたー」
べそをかきつつ、指差すその先に、憮然たる表情の、伸夫が居る。
彼は五年生であり、体格から声の大きさまで、悠太に比べるべくもない。

「だって、俺の本を、横取りすんだもん」
傲然と言い放つ。
「ちがうよ。僕が先に、取ったんだよー」
「ちがうだろ、俺が見てたんだから」
他愛もない、本の取り合いである。

クラブ活動だからと言って、常に和気藹々ではない。
時に、生徒同士の争いが起きる。
その多くは、勝負を巡ってである。
「待ったをした」「二歩を打った」「横から○○が、助言した」など、
主としてルールやマナーに関してである。
今回のような、本の取り合いは、珍しい。

囲碁将棋部には、蔵書があり、クラブ活動の時間中、
参考書や解説書が、自由に読めるようになっている。
実戦の合間に、勉強してもらおうとの趣旨で、備えてある。

「やめろ」
私はすかさず、両者の間に、割って入った。
争いの拡大を、防がねばならない。
こんな時、どちらかの肩を、持つわけには行かない。
これまでのいきさつを、私がこの目で、見たわけではないからだ。

「伸夫が終ったら、次に見せてもらおうね」
取りあえず、悠太をなだめる。
そこには、実効支配という現実がある。
理屈はともかく、現物を手にしている方が強い。

それは、竹島をめぐる、日韓の争いをみれば、よくわかる。
伸夫も韓国も、面子にこだわっている。
大した価値もないのに、意地でそれを、手放せなくなっている。

 * * *

大勢の前で喋る。
私は、これが苦手だ。
それも、心の準備が整わないうちに、指名され、喋らされる。
これが困る。
書く方は、何とかなる。
それは、時間をたっぷり、かけられるから……であろう。

そんな私でも、ごくたまに、即興のスピーチが、上手く行くこともある。
悠太と伸夫の間に、トラブルがあった、その日がそうだ。
タイミングがよかった。
連日、テレビを賑わす話題に、ぴったりと合ったからだ。
私は、生徒達の前で、久しぶりに訓示をやった。
その日の活動が終了する、その挨拶の前に、自ら教壇の前に立ち、やった。

最近、一二年生の部員が、増えています。
そこで、上級生の皆さんに、お願いしたいことがあります。
一二年生の中には、囲碁将棋のルールが、まだよくわからない人が居ます。
そして、マナーもです。
マナーとは、礼儀作法のことです。

下級生が、何かの間違いをやった時、上級生は、やさしく教えてやって下さい。
「それは、いけないよ。こうするのが、正しいんだよ」と。
口で言うだけです。
手を出しては、いけません。
ぶったりしては、絶対にいけません。

今、テレビでさかんにやってますね。
横綱日馬富士は、後輩の力士が、マナー違反をしているからと言って、
殴ってしまいました。
怪我をさせてしまいました。
これ、いけませんね。
口で言えば、よかったですね。

横綱はどんな時でも、後輩力士の、見本にならなければいけないのです。
上級生の皆さんも、同じです。
一二年生が、もしも間違いをやったら、やさしく教えましょう。
怒ったり、ぶったりしては、絶対にいけません。
下級生の皆さんも、先輩からの注意を、しっかり聞きましょう。
先生からのお話は、これで終りです。
じゃあ、当番の六年生、今日の終りの、挨拶をして下さい。

我ながら、いい訓示になった。
伸夫も少しは、わかってくれたのでは、あるまいか。
これ偏に、日馬富士関のおかげである。

 * * *

こちらは、大分前の話である。
その日もたまたま、クラブ活動の中で、問題行動があった。
それで、以下のようなスピーチをやり、生徒らに釘を差した。

皆さんは、勝負に勝てば、それは、うれしいでしょう。
しかし、囲碁将棋の場合、ガッツポーズをやっては、いけません。
我が国の伝統遊戯である、この世界では、マナーをとても大事にします。

目の前に、負けた相手がいます。
その人は、きっと悔しいでしょう。
その気持も、察して上げなければいけません。
喜びたいけれど、負けた人のことも考え、勝った喜びを抑える。
これが、この国の伝統文化なのです。

スポーツの場合は、やっていいですよ。
素直に感情を表すのが、良いとされています。
野球でも、サッカーでも、ドッジボールでも、どしどしやって下さい。

でも、相撲では、やりませんね。
あれも、この国に長く伝わる、伝統競技だからです。
単に勝負を争うだけでなく、礼儀をとても、大切にします。
それで「相撲道」と言われるのです。

最近も、横綱の朝青龍が、土俵上でガッツポーズをやり、
注意を受けましたね
外国から来た人で、日本の伝統文化を、よく知らなかったのでしょうね。
でも、それでは、横綱として、困るのです。
横綱は、強さばかりでなく、品格も求められるのです。
品格って、なんでしょうね……
人柄の良さです。
皆から慕われ、尊敬されることです。

子供相手に、口から、出まかせのところもあるけれど、
訓示として、まずまずの出来では、なかっただろうか。
時宜に適った、具体例があると、スピーチが引き立つ。
私は、運にも恵まれている。

 * * *

対局中、時に「待った」が出る。
そこは、幼い小学生だ。
一旦盤上に置いた、石や駒を、思い直して、また手元に引き戻す。
これが「待った」であり、決して良いことではない。
「置いた」「まだ、手が離れていなかった」で、口争いになったりする。
それが、掴み合いに発展するようだと、私はまた、
訓辞を垂れねばなるまい。

「待った」はいけません。
見ていて、美しくないですね。
それを防ぐには、石や駒を、盤上に置くまでに、よく考える。
そして、置いたらもう、迷わない。
どんな結果になろうと、潔く、それを受け入れる。
それが、囲碁将棋をやる者の、心構えです。

先日も、横綱白鳳が、よくないことをやりました。
立ち会いで、待ったをしたつもりだったのでしょう。
しかし、行司の軍配は、既に返っていたので、相撲は成立してしまいました。
白鳳は、これが不満だったのでしょうね。
負けをなかなか、認めようとせず、土俵に戻ることを、
拒んでいました。

いけませんね、あれは。
勝負にこだわり過ぎて、潔くないですね。
皆さんは、決して真似しないよう。
「待った」も、そして、負けた後の、態度もです。

こんな風に、喋ろうと思う。
スピーチの原案が、もう出来ている。
しかし、その後の教室内は、平穏だ。
あろうことなら、訓辞など、やらない方がいい。
ネタなんぞ、封印したまま、終わるのがいい。
私は本当は、スピーチが苦手なのだ。

それにしても、私は、相撲を引き合いに出して、ばかりいる。
それも、モンゴル人力士、それも横綱ばかりだ。
たまたまである。
人種差別の意図など、私にはまったくないのだが、
心ならずも、こうなっている。



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恐れ入ります

パトラッシュさん

漫歩さん、
ご賛同頂きまして、ありがとうございます。

地位は人間を作る……はずなのに、増長し、尊大につながっては、いけませんね。
実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな……
これは、外国人には、無理なのかなぁと思ったりもします。

2017/12/10 14:38:18

御意!

漫歩さん

歳を捨てて生徒に混じって聴きました。
先生の教えは、何の抵抗感もなく頭に沁み込んでゆきました。
初心に返ることは心の洗濯ですね。

白鳳には思い上がりが感じられます。
横綱に推挙された時の誓いの言葉を思い出して貰いたい。

2017/12/10 09:52:54

何をおっしゃいますか

パトラッシュさん

喜美さん、
貴女は私の、模範とすべき先輩です。
私の教え子の中には、入れられません。

私の方こそ、何かと、ご教示下さい。

2017/12/09 18:17:51

教え子の成長を見届けたい気はあります

パトラッシュさん

みさきさん、
「布石」なんて言葉を、よくご存知ですね。
元々は、囲碁の言葉です。
布石に失敗すると、その一局を、劣勢のまま、終始することもあります。

人生においては、さほどのこともありません。
何しろ、長丁場ですから。
少々の失敗なら、取り返すことも出来ますから。

そして私は、囲碁将棋の先生。
子供たちに対する責任も、極めて軽いです。
少々行き過ぎた教示をしたって、子供たちは、冷静な目で、これを受け止めてくれます。
本職の教師でない分、とても気が楽です。

2017/12/09 18:13:19

素直

喜美さん

私六年生になったみたいに
先生のお話頷きながらお聞きしました
  ハイ守ります

2017/12/09 08:58:54

愛の訓示

みさきさん

なんと素敵な先生でしょう。
教え子を心から愛すればこその、折に触れてのパトラッシュ先生の訓示は、今日明日の事のみならず、児童が大人になり、更に年を重ねて子や孫がいる年になった時にも、きっと、心の中に、残っていることでしょう。まさに、人生の布石! こうして、日本の伝統が繋がれていくのですね。<(_ _)>

2017/12/09 08:55:00

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