田舎より発信

変わってゆく夢 

2018年01月09日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


ひとつ前の記事で夢の話を書いたのでふと思い出し、アメブロを始める前から登録していてもうとっくに無くなってしまったSNSサイトに載せていて、今はGoogleドキュメントに保存していた過去記事を探し出して引っ張り出しました。そのSNSの過去記事は、いつかアメブロに転載しようと思いつつずっとそのままになってました。以下、掲載していた年代と共にそのままUPして今回の記事とします。=====ここから↓================夢2007/06/20 Wednesday (18:32)昨日、もう10年以上も前に亡くなった母が夢に出て来た。夢の中でばたばたしているわたし(夢だから理由は分からない)を尻目におだやかに居間で座っていた。夢の中のわたしは母は死んでいると認識していたけどそこに存在していることにもなんも疑問を持たずにいた。夢の中でわたしは何か母にアドバイスをもらいたがっていた。でもなんだかバタバタしてるうち夢から覚めた。ここから先は普通に母を母として大切に感じている人には刺激が強いと思いつつわたしの想いなので綴ります。亡くなってしばらく、わたしの夢に出てくる母は般若のお面のようなスゴイ形相をしていた。化け物のようだった。なぜそんな顔をして出てきたのか、母の顔じゃないのに、夢の中では母と認識していた。恐ろしかった。その後も何度か、鬼の形相のような母の顔の夢を見ていた。でも次第に母の夢を見なくなっていった。しばらくして、夢の母は母の顔に戻っていった。これは、母が成仏できなかったからなのかな、とも思ったりもしたが、最近はわたしの母に対する感情そのものが浄化されていったからかもしれない、と思えるようになってきた。わたしにとっての母は申し訳ないが亡くなってからも反面教師でしかなかった。いろんな面で許せない心と、母親だから大切に思わなくてはならない、という普通の常識に縛られて葛藤する心と、常に戦ってきた。だから普通に母親を親として当たり前のように接することができる人がうらやましくもあります。さてさてわたしの子供が実際わたしが母に抱いていたような感情をわたしに持ってもらいたくないと思いつつマイパートナーからは時々わたしは自分のことしか考えていない、もっと周りをよく見ろと言われたりああ、ダラダラ書いてるな今日は休みだからこんな余計なことを考えてしまうものかとここでまとまりなく記事を終わらせることにした。夢と記憶と感情のはざま2008/09/08 Monday (0:40)先日、昼間、ソファでうたた寝をしてしまった時、久しぶりに母の夢を見た。以前このブログにも書いたが、わたしは亡くなった祖父や母の夢をよく見る。夢の中で私と母は、まるで友だちのようだった。買い物か、鑑賞かよく覚えてないが、大きな建物の中で大勢の人たちととても楽しげに集っていた。まるで毎日、顔を合わせていたかのように、この時は、すごく話が弾んでいた。内容は、すっかり忘れてしまったけど、ただ、夢の中のわたしも、なんだか楽しげだった。どうやら楽しい時間は短く、わたしのまどろみは、もうすぐ現実に戻ろうとしていたようで、夢の中の母は、「もう行かなければ」と言う。わたしは「もっといればいいのに」と言ったようだ。(細かい言葉は忘れてしまった)でも母は「そうもしてられない」と、去っていこうとする。「そうか、そうだよな」わたしはそう言ったが、同時に、(あれ、なんでそうなんだ?なんでカーチャンは行っちゃうんだ?)とも考えていた。そこで、夢から意識が現実に引き戻された。そうだった。母は、この世界にはもういないんだった・・・・・・で、目が覚めた。とてもリアルだった。ソファでお昼寝をした、そのほんのわずかの時間に、母がわたしにやってきたのだ。この時の母は、無邪気に楽しむ普通の顔の母だった。記憶をたどったら、いえ、過去記事を検索したら、1年くらい前に母の夢を見ていた。そこでも書いたが、亡くなってまもなくの頃に見ていた夢の中の母は、この世のものとは思えないほどの形相だった。それがだんだん、見るだびおだやかになり、先日の母は、笑って楽しげだった。亡くなった人をいつまでも厳しい目で見てちゃいけないんだろうか。わたしはまだ完全に、心のどこかで母を許していない。でも、恨む心より、楽しさを求めて会話した時期もあったわけで、今はもうその気持ちの方を大切にしないといけないのかもしれない。今年のお盆も、墓参りに行かなかったな。そして、もうすぐ、今月は母の命日の月だ。(※ これは2008年9月の記事です)=====ここまで↑================なぜわたしが未だに母を許せないのか、思い出すだけでも動悸がひどく、正常でなくなるのでまだ記せません。およそ普通の少女が体験しえないことが思春期の頃に起こった、とだけ。全てのきっかけは母がもと。でも、それを母は恐らく全て知らずに逝ってしまった。こう書いてるだけでも、もう胸がバクバクして震えてきました。

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