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パトラッシュが駆ける!

聖天さま 

2018年01月27日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

11時、熊谷駅に降り立った。
私は、この駅に、かすかな縁がある。
八年前、東京日本橋から歩き始めた、中山道の旅の、二日目の歩程を、
この駅で終えた。
そして一旦帰宅し、後日、三日目の旅を、ここから始めている。
旅路における、句点のようなものだ。
この後、上州に入り、やがて信州を抜け、結局十八日かけて、
私は、京都まで上がった。
苦楽共に、多かりき旅であった。
それだけに、句点、読点共に、懐かしさがある。

本日は、労も何もない。
ただ、落語会に加わるために、やって来ている。
はるばると、埼玉の北の果てまで……である。
旅も落語も、所詮は、私の物好きのなせるところ。
私は、よくよく世間の皆さんと、違うことをやっている。

前夜、銀座の風流寄席で、鳳樂師に会った際、言っておいた。
「明日、師匠を追っかけて、熊谷まで行きますよー」
「えー……」
鳳樂師が、のけぞった。
東京から熊谷まで、わざわざ落語を聞きに行く。
そんな酔狂人が居るとは、その落語をやる当人も、思わなかったようだ。

鳳樂師だって、わざわざ熊谷くんだりへ……
と言いたいが、彼は仕事である。
当然に、報酬を得ている。
私は道楽である。
当然に、交通費などがかかっている。
その差が「えー」である。

落語会が始まるまで、大分間がある。
「昼飯を食べて行きませんか」と語句氏が言った。
私に否やはない。
埼玉県寄居町に住む語句氏にとって、熊谷は地元も同然だ。
何もかも、お任せしようと思っていた。

「こちらへ……」と語句氏の案内したのが、駅ビルであった。
「ここの焼き鳥が、美味いんです」
つかつかと、一軒の店へ入った。

駅ビルのレストラン街なら、どの店を選んでも、味はそこそこ、
間違いなかろう。
という安心感がある。
一方で、通り一遍の味ではないか……という恐れも、なくはない。
店の多くが、支店であり、独自色など出せないからだ。
一定の水準は保ちつつ、しかし、飛びきりの美味など、期待すべくもない。
というのが、私における、駅ビル食堂街への見方であった。

生ビール一杯と、焼き鳥二本がセットで、五百円とは安い。
ランチタイムサービスであるらしい。
この焼き鳥が美味い。
タレのせいかと最初は思ったが、そうではない、肉そのものに、
こくがあるのだと、すぐに気付いた。

それは、鳥めしを頼んで、さらにわかった。
焼いた鶏肉を、重箱の飯の上に、敷きつめてある。
もも肉、ムネ肉と二種あって、これがまた、やけに美味い。
そして、飯が隠れるほどに、びっしりと敷き詰めてある。

ビールが進む。
「ちょいと一杯」のつもりが、結局、二杯目を飲むことになった。
「登利平」と書いて「とりへい」と読むらしい。
駅ビル、侮るべからず、チェーン店、侮るべからず……
私の思い込みの、浅はかだったことを、知らされることになった。

* * *

友人・山靴は、その幼少年期を、埼玉県北部の、利根川の畔で過ごした。
「田舎も田舎、文化果つる地だ」
自虐を込め、よく語っていた。
「聖天さまの縁日には、五十銭玉を握りしめ、四キロもの道を、
妻沼まで、歩いたもんだ」
戦前の話であろう。
今は当然、バスくらい、あるであろう。
「屋台が出て、それは賑やかだった」
草深い田舎に住む少年にとって、それは、文字通り、
ハレの日であったろう。

聖天様って、何だ?……
私はにわかに、興味が湧いた。
僻陬の地にあって、広く人々の崇敬を集める。
それには、きっと何かの理由があるはずだ。
それを、確かめてみたくなった。

聖天は昇天に通じるのではないか……
そこに、忘我、恍惚などのイメージを重ねたのは、
多分私くらいのものであろう。
憶測する。
思い込みでもって、対象を見る。
私の悪い癖だ。

 * * *

その聖天様に、来ている。
正しくは「聖天山歓喜院」であり、もちろんお寺である。
それも、高野山真言宗に連なると聞き、私はにわかに、張り切った。
数珠、それも真言宗用のそれを、懐に忍ばせ、乗り込んでいる。

山靴を誘ってやりたかった。
しかし残念、彼は今、体調を崩し、外出も思うに任せなくなっている。

国宝である、本殿の外壁に施された、彫刻が見事だった。
それをまた、ガイドさんが、やけに丁寧に説明をした。
どうです、日光の東照宮にも負けませんよ、という自信が、
ガイドさんの言葉の端々に、匂っている。
あちら、幕府の権力をもって、作ったもの、こちらは、
民衆の勧進により、出来たもの。
その志の高さを、どうぞ、見てやってほしい……
くらいの意気込みであった。

お寺見物に、時をかけ過ぎてしまった。
落語会の開演が迫っている。
私達は、ガイドさんの説明を、最後は遮るようにして、本殿を後にした。
会場の金剛殿には、もう人々が詰めかけていた。

広間を三つ、ぶち抜いてあり、合わせると、優に百畳はありそうだ。
その大広間が、人で埋まっている。
ざっと、三百人近く居るのでは、あるまいか。
古い建物であり、エアコンなどは設置されていない。
それでも、寒くないのは、人いきれのせいであろう。
私達は、座布団をもらい、末座に連なった。

 * * *

前座は、鳳樂師の四番弟子だそうだ。
「時そば」をやった。
次が鳳樂師の「家見舞」
引っ越し祝いに、水甕を贈ったはいいが、この甕、元はと言えば、
トイレの肥甕として、使われていたもの。
水洗トイレしか知らぬ、若い世代には、ぴんと来ないかもしれないが、
会場はあいにくと、いい歳をした者ばかり、事物が想像出来るから、
そこはもう、笑いの連続となる。

仲入りがあり、色物は、曲独楽。
ピンと張った糸の上を、開いた扇子の紙の端を、独楽が回りつつ、移動する。
その技もさることながら、女性独楽師の、トークが面白い。
「嫁にも行けずに、頑張っています」
このフレーズが、女性客に受ける。
会場の女性の多くが「首尾よく、嫁に行った」女性であるからだろう。
そこに、そこはかとない、優越感があるからだろう。

トリが再び鳳樂師。
今度はがらりと趣向を変え、ご存知「文七元結」
人情噺こそ、鳳樂師の十八番である。
私達は、遠い席だからわからないが、前席のお客さんは、
鳳樂師のその涙するところを、見たのではあるまいか。

高座を下り、引き揚げて来る鳳樂師と、目が合った。
その腰をかがめ、私達に向かい言った。
「連荘で、どうも、ありがとうございます」
そう言って下さると、追っかけとしては、うれしい。
「よかったですよ」
こちらも、労って差し上げる。

さあ、大変。
外に出たら、もう、真っ暗だ。
師走も半ば、日が短いのである。
さあ、帰ろう。
いや、その前にトイレだ。
「こっち、こっち」
語句氏の導くところに従い、私は、聖天様の境内を、よろめき歩いて行った。



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いえいえ

パトラッシュさん

かをるさん、
お褒めを頂きまして、恐縮です。
なかなか、小説のようには、行きません。
「随筆は小説のように書け」と、教わってはいるのですが……
ちなみに「小説は、随筆のように書く」のが、良いのだそうです。

2018/01/30 09:11:36

こんばんは〜

かをるさん

こんばんは〜

さすがですね。
本を出されるだけあって
やはり、流れるような文章
描写もうまくて・・・
小説を読むようでした。

2018/01/29 22:48:40

いえいえ

パトラッシュさん

漫歩さん、
それほどでもありません。
ただ、人様と、生活のレベルが違うのは、確かでしょう。
もちろん、低いのです。
だから、人並みのことをしても、楽しく見えるのです。
当人もこれに、満足しております。(笑)

2018/01/27 19:24:10

おかげさまで

パトラッシュさん

シシーマニアさん、
私は、恵まれた老後を過ごしていると、言えそうです。
もう、大きな望みは、抱きません。
ささやかなことに、感謝するようにしています。
そうすると、ささやかな酒が美味く、食べ物がおいしいのです。
ささやかな友人と……
おっといけない。
友人だけは、私には過ぎたる友であります。

2018/01/27 18:29:17

羨ましき日々

漫歩さん

「いい過ごし方をしているなぁ」
パトラッシュさんの随想を読んで毎回感じる思いですが、今回も同じでした。
そして、また新しい知識を戴きました。

2018/01/27 10:51:34

良いですねぇ

シシーマニアさん

何もかも。

落語を聞きに熊谷までいらっしゃる、師匠のゆとりも。

コストパフォーマンス満点の昼食を召し上がる幸運に加えて、共に食するお仲間がいらっしゃるという幸せも。

聖天さまに対して抱く、土地の人の愛着とプライドも。

そして、読み終えた後の印象が、特に。
しみじみとしました。

2018/01/27 09:48:59

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