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パトラッシュが駆ける!

貼り紙ウォッチング 

2018年02月03日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

シャッターが下りている。
紙が貼られ、何か書いてある。
それが二〜三行なら、読まなくてもわかる。
「都合により休ませて頂きます」
臨時休業のお知らせに、決まっている。

長くなるといけない。
十行もある。
となると、ただ事ではない。
文頭に「ご挨拶」とある。
もうだめだ。
朗報であるはずがない。

「長らくご愛顧を賜りましたが、この度都合により……」
つまりは、閉店のお知らせである。
商店街から、また一軒、店が消えて行く。

これつまり、消費者の購買動向の、変化によるものだ。
スーパーなど、大規模店への、集中が進んでいる。
「屋」のつく商売が、何処もかしこも、衰退を余儀なくされている。
飲食業だってそうだ。
個人経営の店が、チェーン店に押され、その後塵を拝することになっている。

時世である。
世の中全体が、ある方向に動いている。
という時に、それを個人の力で跳ね返すのは、難しい。
と思っていたら、大手のチェーン店だって、例外ではない。
不採算店は、閉鎖される。

その変わり身の早さは、個人商店の、よく真似するところではない。
赤字が続くや、さっと撤退を決める、
その果断は、さすがに企業というべきであろう。
個人事業主は、つい、情において、忍び難く、傾いた泥舟に、
しがみついたままでいる。
そして、万策尽き、ようやく、家業からの脱出を決意する。

 * * *

「店主の病気治療のため、しばらく休業致します」
「とんかつ菊乃家」の店頭に、張り紙があった。
来るべきものが来た……という思いが強い。

菊乃家の旦那が亡くなって、間もなく十年になる。
奥さんが、女手一つで、店を切り盛りしていた。
そこには、さぞ、人知れぬ苦労があったに違いない。
その彼女も、古希を迎えたはずだ。
身体の各部に、そりゃ、故障も出るであろう。

「何時になるかはわかりませんが、健康が回復したら、
店は必ず再開します。
どうぞよろしくお願い致します。 店主 菊谷美子」
そうだ、美子さんだった……
とんかつ屋の女将さんに、似つかわしくないなと、
何度思ったことだろう。
笑ってはいけないと思いつつ、つい思い浮かべてしまうのが、
閉店後に、くわえタバコで、コップ酒を手にしていた、その姿であった。
彼女を、女傑と言ってもいい。

しかし、病魔には勝てない。
彼女、店を閉じたくは、なかったであろう。
その無念さが、張り紙に滲んでいる。

私が、菊乃家のとんかつを、最後に食べたのは、何時だったか……
にわかに思い出せない。
再開は、彼女の願望ではあるけれど、世の中、思い通りに行くものでもない。
こんなことなら、もっと食べに来てやるのだった。
私は、張り紙を見ながら、菊乃家のヒレカツを、懐かしく思い出している。

 * * *

「店舗統合のお知らせ」
「濱寿司」の張り紙には、こう書かれてあった。
「開店以来、四十五年に渡り、お引立てを頂きましたが……」
そうか、もうそんなになるのか……という思いが強い。
ランチがお得であった。
千円で、握り寿司が食べられた。
味噌汁に、デザートまで付いている。
碁会の際の昼食に、しばしば利用させてもらった。

二階で、宴会を行ったこともある。
私の出版祝いを、アリナミンが主催し、やってくれたのも、ここであった。

「十二月三十一日をもって、当店と赤羽店とを、統合することになりました」
そんな支店があることを、私は、知らなかった。
統合とは何ぞや。
実態は、店舗閉鎖であり、この地からの、撤退であり、それはつまり、
経営の頓挫を意味するのであろう。
先の大戦の際、旧日本軍は、撤退という言葉を不名誉とし
「転進」と言い換えた。
そんなようなものであろう。

 * * *

恵比寿屋は、薬、雑貨、食品などを扱う、
いわゆるディスカウントショップであり、多くの店舗を展開する、
チェーン店でもある。
その店長が、十年前の一時期、私の家作に、賃借していたことがあり、
そこにかすかな縁がある。

その店が、閉まっていた。
既に、工事用のシートに覆われてしまっている。
閉店なら、何処かに、挨拶文くらい、張ってあるべきだろう。
見回したが、ない。
裏口に回ってみたが、ない。

これが、名のあるチェーン店のやることか……
せめてシートの上にでも、紙を貼り出し、事情説明をしたって、
バチは当たるまい。
情がない。
なさ過ぎる。
そのドラスティックな閉店のやり方に、私は、顧客でもないのに、
つい、腹を立てている。

人の評価は、その棺が覆われて、定まる。
店も同じ。
シャッターを閉じ、そこに一枚の挨拶文を張り出した時に、定まる。
どうせなら、最後は、潔くありたい。
私は、野次馬であり、店の終末光景に、つい物語を感じてしまう。
町で、シャッターの張り紙を見かけるや、それを確かめずに、
居られないでいる。



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いずこも同じ

パトラッシュさん

みさきさん、
日本だけに進む、商業構造の変化かと思いきや、そちらでも……ですか。
古き良き時代を知る者にとっては、残念の一語です。
荻窪駅北口を出た、右手の一角には、雑多な店々が密集しております。(現在も)
主として、飲食店です。
ラーメン、焼鳥、大衆酒場などが多く、庶民的な町です。
とんかつ屋もあると思います。
(店名失念)
私の妻が、荻窪の出なので、聞いて見ます。

2018/02/04 07:22:26

こちらでも

みさきさん

良心的な価格と懐かしい味で、家族みんなが大好きだったお店が次々、閉じてしまいました。噂で店主さんのご病気や、高齢でも後継者が無かったことなどを聞いて、都度、寂しくなりました。
そういえば、お店の名前は忘れましたが、ずっと昔、荻窪駅の北口を出てすぐに、豚カツの美味しい小さな食堂があったことを、思い出しました。

2018/02/04 04:04:02

なるほど

パトラッシュさん

漫歩さん、
長く生きるということは、この世の変化を、多く見る……ということでもあるのですね。
その変化に、加速度がついているのかもしれません。付いて行くのが、困難になりつつあります。

2018/02/03 14:13:09

さびしいですね

パトラッシュさん

湯好屋三助其の2さん、
町の魚屋さんが、ほとんと全滅状態です。
品定めと会話を楽しみつつ、魚を買うことが、もう過去のものとなりました。

2018/02/03 14:10:01

見習わなければ

パトラッシュさん

喜美さん、
今の世の、変化のスピードには、驚かされますね。
かつて、夢のように思っていたことが、あっさりと現実となっている……
そんな中で、喜美さんの、現実適応能力には、頭が下がります。

2018/02/03 14:06:07

人は世につれ〜

漫歩さん

読み終えてある種の感慨にひたりました。

長く生きてきたということは、世の中の変化を見続けてきたことですが、昭和の終り
から、この国が急激に異質化されてきたように思われれてなりません。

便利さや物の豊富さといったものに人々の幸福度は比例するのだろうか。
無理やりに踊らされているのではないのか。

考え過ぎると虚しくなるのでやめます。

たわ言のコメントでした。、

2018/02/03 11:19:12

僕の地元でも

湯好屋三助其の2さん

こんにちは。僕の地元の近所の魚屋さんが高齢を理由に店を閉めましたよ。良く魚をさばいてくれてた魚屋さんです。寂しいです。

2018/02/03 11:13:54

昔と今

喜美さん

昔は魚屋さんに行けば作ってくれる間
話しながら八百屋さんもそうでした
それが本当に今の大型店は友達と会えばお喋りしても店員とは あれ何処にありますか その先の右上ですと味気ないです それが今はそのスーパーのおかげでお使いにもいかずパソコンで送れば数時間で配達されてこんな便利なものはないと 自分の考えも変わりました

2018/02/03 10:10:02

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