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パトラッシュが駆ける!
変節
2010年05月07日
テーマ:テーマ無し
テレビアンテナを買いに、隣町のヨドバシカメラに行った。
今流行の、地上波デジタル用だ。
UHFアンテナとも言う。
これの14端子。
驚くなかれ、これが安い。
4000円でお釣りが来たので、これで本当に、映るのかしらと、
少し心配になった。
しかも軽い。
ガサは大きいけれど、片手でラクラク持てる。
だから安いのか・・・
少し納得した。
ダンボール箱を揺らせながら、帰路も歩いた。
西荻窪と吉祥寺の間は、電車で一駅である。
私は、歩くのが好きで、毎晩コースを変えて、ウォーキングに出ている。
歩かないと、一日がすっきり終わらない身体に、なってしまっている。
買い物を済ませた上に、普段より多く歩いたので、
大いにトクをしたような気になった。
翌日、これをベランダに立てようと思ったら、接続するための、
部品が足らない。
また買いに走った。
と言いたいけれど、私の場合はあくまで「歩いた」だ。
シロウトの悲しさ、工程が見通せないのである。
あ、あれも・・・
気付いては、継ぎ足し買いを余儀なくされている。
これが仕事であったなら、どっと疲れるところだが、道楽であるから、
何ということもない。
* * *
来年の七月で、アナログ放送が終了すると、テレビが伝えている。
「勝手だよな」
「政府のやることは、おかしい」
「画面の隅に出る、あの『アナログ』って文字、あれって、
ヤな感じだよな」
友人のYと、大いに腹を立てていた。
現在ただいま、支障なく使えている機器を、廃棄させるとは何事だ。
全国であれば、計り知れない無駄であろう。
「国民をなめてる」
「まったくだ」
政府やテレビ局のペースには乗りたくない。
ギリギリまで、様子を見ようじゃないかと、Yとの間で意見の一致を見た。
テレビ難民が出そうだと、メディアが伝えている。
いざとなれば、政府が救済策を打ち出す可能性だってある。
私は本当は、気の短い男なのだが、今回ばかりは、
悠長に構えようと思っていた。
* * *
しかしながら、急に風向きが変わった。
三月下旬のことである。
「大家さん、今度テレビを買い替えることになりました」
隣の家作に居る、慶介が言い出した。
ついては、家主の責任において、アンテナを何とかしろと、
こう言うことのようだ。
どうやら、エコポイントとかが関係して、慶介のやつ、
急に思い立ったらしい。
「いえ、今すぐにとは言いません。今のアンテナだって、見れることは見れるんです。
アナログの画面ですけど」
慶介のやつ、その最後のところに、妙に力を込めて言った。
「見れる」はいけない。
ら抜き言葉はいけないと、こう言ってやりたかったが、我慢した。
「テレビなんか、見るヒマあるの?」
「そりゃ、見ますよ。時流に疎くなっては、いけませんから」
彼、食品スーパーの店長をやっていて、毎朝早朝に出勤し、
夜だって何時帰ったか、わからないくらいなのだ。
馴染みの電気屋に行って、アンテナ取替え工事を頼んだ。
わかりました、下見に行きますと言ったきり、その後、音沙汰がない。
半月ほどして、催促に行ったら、電気屋のやつめ
「あ、忘れてました」と頭を掻き、
「今日行きます。後ほど、若い者を行かせます。えへへ」
と笑って誤魔化した。
夕方になってやって来た、電気屋の若者に、何となく元気がない。
ハシゴをかけて、屋上に上って行くその足取りだって、
やけにもたもたしている。
腹が減って力が出ないのか、それとも、給料の額に関係がないから、
やる気が起きないのかと思った。
彼の一挙手一投足を、下から、見上げながら、私は、材料さえあれば、
そしてハシゴさえ貸してくれれば、自分でやってしまうのにと思った。
彼の店の屋号も「慎重堂電気店」とかに、変えてしまえばいいと思った。
「どう?」
「お蔭さまで、よく映っています。もう見違えるように、きれいです」
数日後、慶介に聞いたら、こう言った。
「そんなに違うもんかね」
「デジタルはやはり違います。何なら、見てみますか?」
「いいよ」
断わった。
テレビごときに、もしも目を輝かせたたら、この私の沽券に関る。
* * *
しかしながら結局、我が家でも、テレビを買い替えることになった。
店子が隣で、大きな顔して、大きなテレビを見ている。
私はきっと、心の狭い人間なのであろう。
大家が店子の後塵を拝したところで、どうと言うこともないのだが、
それでも何となく、心中が穏やかでない。
ヨドバシカメラで買った。
この時ばかりは、妻と一緒に電車で行った。
ブルーレイの付いた、つまり録画機能付きの、32型を選んだのは、
彼女である。
「はい、どうぞ。どれでもお好きにどうぞ。
但し、アンテナだけは私が立てますよ」
こう宣言していた。
電気屋の若者がやった、その一部始終を見ていて、
何と簡単かと思ったからだ。
しかも、私の自宅なら、屋上に上がる手間もなく、
ベランダで作業が出来る。
「大丈夫なの?」
「私に出来ないことはない」
「でも、やったことないでしょ」
「やったことはないが、子宮さえあれば、子供だって産んでみせる」
「知りません、もう。お好きにどうぞ、産んで下さい」
見得を切ったものの、ちょっと甘く見ていたかもしれない。
アンテナは立てたものの、今度は配線するに際して、足らないものが、
次々に出た。
その度に、ヨドバシカメラに足を運んだ。
結局四日連続で、私は、西荻窪吉祥寺間を、歩いて往復したことになる。
「どうだ」
「いいですね。映りがくっきりです」
首尾よくテレビが映った時には、妻の顔を見ながら、正直ほっとした。
チューナーも買ったので、店のテレビでも、地デジが見られるようになった。
もしも、うまく行かなかったら・・・
それはそれは、情けないことになっただろう。
妻に顔向けが出来ないばかりでなく、あの電気屋にも、
今さら頼みに行けない。
* * *
このところの朝の散歩では、私は顔を少し、上に向けて歩いている。
実に気持がいい。
家々の屋根を、かつてこれほど、仔細に眺めたことはない。
私は悠長に構えていたつもりだが、それでも世の中には、
もっとのん気な人が多いと見え、まだ半分くらいの家が、
旧来のアンテナのままだ。
「勝った」とは思うまい。
テレビの切り替えくらいで、どうと言うことはないのである。
そう思いつつ、しかし、この満足感はどうだ。
私はもともと、短気な人間なのである。
何でも早めに済ましてしまうのが、やはり性に合っていたのだ。
Yとは、その後会っていない。
幸いだ。
家に来られて、ひょいと上を向かれると、少し困ったことになる。
出来ることなら、彼とは、来年の七月過ぎに、会いたいものだ。
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