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パトラッシュが駆ける!

友情の風景 

2019年01月12日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

若い頃の、山辺と菊井は、そこに「無二の」が付く、
親友であった。
影の形に添うごとき「ヤマギクコンビ」の友誼を、私は、
少し離れた位置から、さながらバードウォッチングでも
やるように、眺めていた。

二人は、ある会社に、同期で入社した。
入社時の、社員研修の際に、たまたま席が、
隣り合わせとなったらしい。
雑談の中から、互いに、何かを認めたのであろう。
これを下世話に「ウマが合った」と言ってもいい。
そこから、二人の交友が始まった。

ある時、山辺が菊井を連れ、私の店に来た。
山辺と私は、中学校の同級生であり、
つまり旧友ということになる。
その旧友が「彼が」と菊井を指差し
「この近くに住むことになった」と言った。
「よろしく」そして「お見知りおきを……」
という意味であろう。
それが、私と菊井との、初対面であった。

その菊井に、一風変わったところがあった。
物事を、理詰めに捉える一方で、情緒というものを、
ことさらに突き放すところがあった。
これを怜悧と言うことも出来る。
ややもすると、感情の豊かすぎる、私の友人の中では、
異色であった。
もっと簡単に「変人」と言ってもいい。

その変人と付き合い、よかったことが二つある。
株式投資を教えてもらった。
彼は、その冷徹な目で、今後発展するであろう業種を、
幾つか見据えていた。
日本の工業の総合力が、必ずものを言う時が来るとして、
自動車産業を、そして、これからの、
団塊世代の成長に伴う需要の高まりから、
住宅産業を推奨していた。
昭和もまだ、半ばの頃である。
言われるままに、その尻馬に乗り、
私は儲けさせてもらった。
それに味をしめ、その後私は、
株式投資に熱中することになる。

「タバコ? あんな不味い煙を、何で無理して、
吸い込むんだ?」
菊井の、この一言に、私は「ああ」と目が覚めた。
喫煙により、大人となった証しを、世間に見せたい。
その動機の愚かさを、彼は冷笑していた。
そんなものに頼らなくても、
大人たるを世間に認めさせる方法は、いくらでもある。
という考えだ。
折しも、私が、タバコに手を出し始めた頃で、
この一言がなければ、私はほどなく、
いっぱしのニコチン中毒者になっていただろう。
金銭と身体、この両面において、私は、新たな友人の、
影響を受けたことになる。

犀利な男であった。
但し、才人によくあるように、彼は蒲柳の質であった。
つまり、病弱である。
熱が出た、足が痛いと言っては、よく会社を休んだ。
当初それは、リューマチであるとされていた。

住んでいる、独身寮が近かったから、
私は時に、見舞いに行ってやった。
株で儲けさせてもらった、その礼ということもある。
食堂に飯を取りに行き、それを居室へと運んでやったりした。
山辺が私に、菊井を引き合わせたのは、こんな事態を、
想定していたからかもしれない。

その山辺は、さすがに親友であり、こんなものでない。
頻繁に、やって来た。
彼の場合は、見舞いというより、介助であった。
汚れた下着などを、自宅に持ち帰り、
洗濯し、また届けたりしていた。
ちなみに私は、自分で、洗濯機も回したことのない男である。
仮に回せても、そこまでの面倒は、とても、
見切れなかったであろう。

親しい交友を表す、幾つかの言葉がある。
「刎頚之友」「腹心之友」「莫逆之友」「管鮑之交」
「水魚之交」……
二人の関係には、このどれもが、当てはまりそうに思われた。
しかし、わからないものだ。
このどれもが、少し違うなと、私はやがて、知ることになる。
はるかに後年、それこそ半世紀も経ってからである。

 * * *

私達三人の付き合いは、次第に疎遠となった。
それぞれに妻を娶り、家庭を持ち、子供を授かったからだ。
それからまた数年が経ち、私は山辺からの情報で、
菊井が退社したことを知った。
郷里の福島に帰り、療養に専念すると聞いた。
いくら福利厚生に行き届いた、大会社であっても、
度重なる休職は、さしも理詰めの、菊井をもってしても、
社に居たたまれなくしたに違いない。

それを汐に、私と菊井との距離は、さらに離れた。
去る者は、日々に疎しの喩えもある。
年賀状のやりとりさえ、何時しか絶えた。
それに比べ、菊井と山辺の縁は、さすがに「無二」であった。
その後も、繋がっていたらしい。
かすかに……であろうけれど。

時折、菊井の動静が、それこそ、風の便りのように、
もたらされた。
曰く、健康食品の販売に乗り出したこと。
曰く、ある民間療法の会に入り、
その教えを実践している、などである。
しかし、私は聞き流していた。
もう既に、過去の人となっている。
何を今さら……の感があった。

菊井のその、情の薄さのこともある。
理論や理屈は、それが時に、尊敬に値するものであっても、
人と人とを結びつける、粘着剤には、なり難い。
人付き合いに大事なのは、むしろ、膠(にかわ)のように、
どろどろした情なのである。

 * * *

当時の私は、菊井との交友が、後に復活するなど、
あり得ないと思っていた。
その夢みたいなことが、起きた。
復縁の契機となったのは、私の自費出版した本であった。
菊井は、何十年ぶりかで訪れた、山辺の家で、
これを見せられたらしい。
「へえ、あいつがねえ……」
驚いたところを見ると、かつての私は、
よほど凡愚な人間に、見えていたのだろう。

菊井は、本を借りて帰り、読んだ。
そして、この私のことが、にわかに、
懐かしくなったらしい。
福島の、地元本屋に注文し、
私の出版した三冊の本を、全て購入した。
それを読み、さらに感懐が増したらしい。
なにしろ、その一冊には、私の経営していた、
金物店のことが書いてある。
彼は、その店に、しばしばやって来ていた。

菊井は、矢も盾もたまらず……という風情で、
私の家を訪ねて来た。
奥さんを伴っている。
それは、再婚したところの、私の知らない女性であった。

半日、私の家に居続け、昔話に花を咲かせた。
過ぎてみれば、その共通体験は、どれもこれも、
笑いのタネになる。
彼の病気のことさえもだ。

「朝、起きると、暗いんだ。おかしいなと思って、
時計をみると、七時。何時もと変わらない。
寝ているうちに、視力が落ちてたんだな」
「そんなことって、あるのかね……」
「結局、ベーチェット病だったんだ」
「ああ……」
「あちこち、病院を替えたが、良くならない。
思い余って、先生の元を訪ねたんだ」

そこで菊井は、私がかつて、山辺から伝え聞いた、
民間療法の名を挙げた。
それは、中国に、五千年前から伝えられる、
健康法であるらしい。
呼吸法と、身体各部の、ゆるやかな運動を組み合わせ、
人間の「気」を高める。
これにより、人間が本来持つ、
自然治癒力を強めるのだそうだ。

そんなもので、難病中の難病である、
ベーチェット病が治るのか……
私は、にわかに信じ難い。
しかし、目の前に、その快癒した、実例がある。
一度、付き合いが絶えたとはいえ、友は友だ。
それが元気になり、笑っている。
ここは黙って、慶賀すべきであろう。
その療法の、疑問点を並べ立て、
菊井を問い詰めたところで、始まらない。
私はその日、菊井を旧友として、ひたすら、
もてなすことに終始した。
            (以下次号に続く)



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二人の今後は……

パトラッシュさん

まはろさん、
「悲」と「喜」に分けるなら、結末は「悲」になります。
病気が、その原因となること、よくあるケースとも言えます。
でも、あの二人なら、最後はわかり合ってくれるのでは……

2019/01/12 17:32:29

空想力の欠如で

パトラッシュさん

漫歩さん、
奇想天外な着想には、なかなか至れません。
結局は、経験したところを、下敷きにすることになります。

2019/01/12 17:27:06

書くことが好きなものですから

パトラッシュさん

四つ葉さん、
毎度ご愛読を、ありがとうございます。
たまに小説風を書いてみたくなりますが、いざとなると、難しいです。

2019/01/12 17:24:42

そう、半分くらい……

パトラッシュさん

シシーマニアさん、
気を持たせて、すみません。
一回分には、いかにも長い文章なので、分割しました。
私も、短気なことでは、引けを取らないのですがね……

小説風に書いてみました。
と言っても、フィクションばかりではありません。
何もないところに、ストーリーを構築するのは、簡単なようで、案外難しいのです。

2019/01/12 17:22:13

映画

まはろさん

パトラッシュさん

映画を観てるようなストーリーですね
色々のシーンが映りました 早く続きが観たいです
どうなるかending が気になります

2019/01/12 13:22:42

文章力

漫歩さん

これは実話ですが、創作的な興味に曳き入れられました。

文章力ですね。

2019/01/12 11:06:02

続き気になります。

四つ葉さん

パトラッシュさんこんにちは。

いつも土曜日のパトラッシュさんの投稿が楽しみです。
今回のブログの内容も本を読んでいる様に感じて続きが気になります。
いつも素敵な内容で楽しみです。
「次号に続く」どんな展開なるか‥期待して待ち遠しいです。

2019/01/12 10:30:16

一週間

シシーマニアさん

後編、がどんな展開になるのか、色々思い描く楽しみを戴いた思いです。

「次回に続く」と言うのが苦手だったせっかちな私も、年を取って、待つ事は、思い巡らすことでもあるのだ、とやっと思えるようになりました。

師匠の周りには、題材になるような人達が多いな、と思いながら、でも半分は師匠の創作なのだろうとも、想像しています。

2019/01/12 09:46:45

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