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続・友情の風景 

2019年01月19日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

正月三が日が過ぎた、ある夜、菊井から電話がかかった。
「実は、山辺のことなんだが……」
その声に、張りがない。
ああ、あれか……年賀状のことか……
私はすぐに、事態を飲み込んだ。
山辺からの賀状には、印刷された、定型文の余白に、
肉筆でもって、異例のことが書かれてあった。

昨年十一月、人間ドックに入ったところ、
肝臓に癌が見つかりました。
切除の手術を受けねばなりません。
今はその順番待ちで、自宅に居ます。
転移が気になるけれど、今さら、じたばたしたところで、
始まりません。
酒も飲んでいます。
知らない人が見たら、病人には見えないでしょう。
ということが、さながら、他人事のように書かれていた。

これに対し、私は手を拱いていた。
「手術の成功を祈る」くらいのことを、
メールにて出そうか……
考えている最中だった。

そこへ行くと、菊井は素早い。
賀状を受け取った、その日に、山辺へ電話をかけたらしい。
短気者で、何時も焦っていた私の、
お株を奪ったようなものだ。
人間、変れば変るもの。
「熟考の菊井」が、友の危急に、取るものも取りあえず、
走り出した感がある。
そして、山辺もだ。
「良識の山辺」が、事もあろうに、年始の祝詞の傍らに、
自身の不運を告げている。
そして「即断の私」は、おろおろと、子供のように、
狼狽えている。

 * * *

電話口の菊井は、何を思ったか、急に昔話を始めた。

私の人生は、知っての通り、多難でした。
若い頃の私は、病弱で、周囲の皆さんの、好意によって、
生かされていたようなものです。
特に世話になったのが、山辺です。
仕事中に、どうしても辛くなり、早退を願い出ました。
しかし、帰路がおぼつきません。
夕方の中央線は、込みますから。
思い余って、山辺に電話しました。
彼は、すぐに了解してくれ、駆け付けてくれました。
勤務先は、別の支店であり、結構離れていたんですがね。
そんなわけで、彼が居なかったら、今日の私がなかったです。

ここで、しばらく、電話の声が途絶えた。
私は何も言わず、その沈黙に耐えている。
こういう時は、好きにさせた方がいい。
菊井は、気を取り直したように、また話し始めた。

私は、中国古来の健康法により、病気を克服しました。
その後、先生の元に、住み込みで弟子入りし、
その術を学びました。
先生も呆れるくらいに、徹底してです。
今は自宅に、道場を開き、希望者に施術をしています。
多くの人の、相談に乗りました。
その数、延べ三千人に上ると思います。

癌を治すことも出来ます。
一挙に、忽然に、というわけには行きません。
気長に、段階的に、小さくして行くのです。

菊井の声が、熱を帯びてきた。
その持論は、前回の来訪時にも、聞いた。
人間は、自然のままに生きれば、百二十歳まで、生きられる。
しかしながら、人間は、つい悪さをする。
自然に逆らうことをする。
それにより、自ら寿命を縮めている。
というものであった。

山辺にも、このことを言ったんだ。
しかし………
聞く耳を持たないんだ。
ここでまた、菊井の声が途絶え、そして、
振り絞るように言った。

そればかりじゃない、電話を切ったんだ。
そんな話は、聞きたくないと言って……

片や、良かれと思って言っている。
こなた、そんな話は受け付けない。
世間によくある話ではある。
問題は、それが、かつての親友間で、起きていることだ。

「うーん……」
私は、何と言っていいかわからない。
両者の言い分が、よくわかるからだ。
「ちょっと考えてみる」
一旦電話を切り、またこちらから、かけると言った。
即断の私が、今やすっかり、逡巡の男と化している。

 * * *

あの温厚な山辺が、怒って電話を切るというのは、
よくよくのことだ。
その心中を察するに、一つ、考えられることがある。
仏教で言うところの、諦観だ。
私達は、そりゃ、欲を言えばきりがないが、
もう十分に生きたとも言える。
今さら、命に連綿としたくない。
それで、あなたの話に、反発した。
そう言う可能性がある。

もう一つは、山辺が、現代医学の方を、
信じているということだ。
今さら、新しいものに、飛びつきたくない。
賭けるなら、この国の多くの人と同じように、医学の方としたい。
山辺は、そう思っているのではないか。
ということを、私は菊井にかけ直した、電話の中で言った。

もう一つ、想像されることがある。
菊井の勧誘が、執拗に過ぎたのではないか、ということだ。
自分は治った。
だから……というところに、優越が匂ってしまったのではないか。

山辺にだってプライドと言うものがある。
易々と、旧友の説くところに、従うわけには行かない。
という事を、しかし私は、菊井に言うわけにも行かない。
それは「菊井、お前が悪い」ということになる。

「手紙を書きなよ」
私は菊井に言った。
電話だと、言葉と言葉が、直接にぶつかる。
そこに、不協和音が生じないとも限らない。
何かを訴えたいなら、手書きの文字に勝るものはない。

「手紙を送ったって、破り捨てるんじゃないか」
菊井がぽつりと言った。
「そんなことはない。絶対にない。断言する」
私は、ここを先途と言った。

紙に書かれた、文字の力というものを、軽く見てはいけない。
時に、たった一行の文が、百回の絶叫より、力を持つ。
ということも、あるのだと言った。

この辺り、私にも意地がある。
私は、他に能がない。
文を書くことで、辛うじて、自己の存在を、世に示している。
それも、ごく限られた範囲であり、とても、
アイデンティティと呼ぶようなものでは、ないのだが。

これを、菊井が黙って聞いている。
万事に付け、すぐに理屈を言いたがる、怜悧な菊井がである。
やがてぽつりと言った。
「わかった。書いてみる」
菊井との長い交友の中で、初めて彼が、
私の主張に、素直に頷いた。

「決して、責めちゃいけない。山辺は今、窮地に居るんだ。
へりくだって、へりくだって、それこそ、懇願するように、
ものを言わなければ、いけないんだ」
「そうだな。わかった」
何なら、私が書いてやろうか……
という言葉を、私は、かろうじて飲み込み、
電話を切った。
それをやっては、おしまいだ。
出過ぎた真似をして、これまで、
どれだけ失敗をやらかして来たか、知れやしない。

 * * *

あれから、一週間が経つ。
菊井、山辺の両者からは、連絡がない。
和解が、成ったかどうか、気がかりではある。

もう一つ、懸念がある。
山辺が菊井の進言を受け入れた場合だ。
実を言えば、私もまた、菊井の施術に対し、
半信半疑でいる。
私が、山辺の立場であったなら、
やはり現代医学の方を選びたい。

私は、二人の仲を取り持とうとして、
己が意に反することをやったことになる。
困った男だ。
友人間を、上手く立ち回ろうとして、
私は何時も、へまをやらかしている。



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諸行無常

パトラッシュさん

漫歩さん、
様々な友情の形があるようです。
そして、それが、永久に続くわけでもないのですね。
そのことを、今改めて、痛感しております。

2019/01/20 06:10:27

友情という複雑な関係

漫歩さん

性格も生活も人生観も違う者同士でも友情は生まれますね。そしてそこに生じる人間心理の複雑さが巧みに織りなされていて、興味深く読ませて戴きました。

2019/01/19 16:57:29

今後……

パトラッシュさん

シシーマニアさん、
そうなのです。
これが他人なら、断るのも、簡単なのですがね……
善意で、親身に思ってくれているだけに、対処が難しいです。
婉曲に言うより、いっそ、電話をガチャリ……の方が、良いのかもしれません。

私は目下、二人の動静を窺っております。
どうなるか……予断を許しません。
続編を書けるかどうか……
これもまた、予測できません。

2019/01/19 13:52:56

続編を、待つ

シシーマニアさん

我が家でも、似た様なケースがあったのを思い出しました。

宗教と似ていて、善意からスタートした関わりなだけに、受ける方も無下に出来ない難しさですね。


読者にとっての待ち時間であったこの一週間は、師匠にとっても、ある意味で待機時間だったのですね。

不謹慎ながら、ちょっと面白いと思いました。

2019/01/19 09:48:53

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