メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

パトラッシュが駆ける!

年賀状余聞 

2020年01月04日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

「今回をもちまして、年賀のご挨拶を終了させて頂きます」
という賀状を、今年もまた二枚受け取った。
年賀状離れは、着実に進行している。

残念ではある。
人生の中で、親しく交わった一時期があった。
その交友を、永久に続けられないことは、分かっている。
しかし、首の皮一枚で繋がっていた縁を、
敢えて断つこともないではないか。

いずれ終りは来る。
何もそんなに、急ぐことはない。
私は今後とも、縁を繋げるだけの、ささやかな紙片を出し続けたい。
短気者の私が、ここだけは気長に、そして鷹揚なことを言っている。

暮のうちに届く、喪中欠礼葉書にて、途絶を告げる場合もある。
「これをもちまして、お付き合いを終了させて頂きたく……」
肉筆で書き添えられている。
遠い親戚であった。
葬儀の報せも来なかったから、葉書により、
初めてその死を知ったことになる。

私はそれに対し、返信を書く。
長らくのご交誼に感謝し、
遺族の皆様のご健勝をお祈り致しますと書く。
父母の代に遡っての、エピソードを加えたりもする。
つい長文になる。
葉書では収まらず、便箋数枚の、封書になったりする。
受け取った遺族は、驚くかもしれない。
恐縮し、電話をかけて来る者が居る。
いや、大概はかけて来る。

今の世の人は、手紙と言うものに慣れていない。
電話やメールという便利なものがあり、
書くことが億劫になっている。
だから逆に、肉筆の手紙には価値がある。
受け取ると、感激してしまうところが、あるのかも知れない。
私としては、そこが付け目だ。
僅かな手間ひまで、私の風評を上げることが出来る。
といっても、そこで縁が切れるのだから、
今さら上げても仕方ないのだが。

故人の思い出を(多分に善行を含め)連綿と綴ったせいかもしれない。
夫人から、リンゴを一箱送って来たことがあった。
彼女は先の手紙おいて、世間の慣例通りに
「これをもちまして……」と書いた。
ところがそれを、重く受け止めた者が居た。
切々たる手紙まで寄越した。
意外な反響に、慌てたかもしれない。
「早まったかしら……」と後悔をした、
その気持の表れのリンゴかと思われる。

送られて、受け取りっ放しには出来ない。
私はさらに、礼状を書いた。
今度は極力、簡素に書いた。
焼け棒杭に火をつけてはならない。
前言を取消し、従来通りの親戚づきあいをお願いします。
なんてことになると、双方何をやったか分からなくなる。
手紙を書くのも、良し悪しである。

 * * *

昨年の事だ。
地方都市に住む、従弟からの年賀状が来なかった。
双方の親が死んで、もう長いことになる。
会うことはなくなったが、年賀状のやりとりだけは続いていた。
律義な男であっただけに、突然の断絶が疑問であった。
その身に何かあったか……
単なる出し忘れか……
様々に考えた末、私は一つの結論に達した。

ここでも私の筆まめが災いしている。
彼の母、つまり私には義理の叔母である人が、死んだ時、
葬儀の報せは来なかった。
遠路ご足労願うのを、潔しとせず、遠慮したのであろう。

年末になり、喪中欠礼の葉書が届き、初めてその死を知った。
私はすぐに、返信を書いた。
知らぬこととは言え、葬儀に参列しなかったことを詫び、
冥福を祈り、さらに故人の思い出などを書いた。
折り返し、従弟から電話があった。
すみません、申し訳ないの一点張りであった。
何を謝るか……
それは親の死を知らせなかったこと、そして、
私に長文の手紙を書かせたことであろう。
さらに自分は、手紙に対するに手紙を以ってせず、
電話で済ませているところであろう。

もしかすると……
私は、年賀状が来なくなり、ようやく気付いた。
よかれと思い、手紙を書いたことが、
相手には負担となっていたのかもしれない。

彼は故意に年賀状を出さなかった。
ということが考えられる。
この先もう、会うこともない。
この辺で、親戚づきあいをやめたい。
さりとてそのことを賀状に記せば、あいつのことだ。
また、惜別の辞を、連綿と書いて寄越すに違いない。
鬱陶しい。
いっそ自然消滅させちまおう……
と彼が考えたとして、不思議ではない。
私は今年は、彼に年賀状を出すのを止めた。

元旦を迎え、それが正解だったと知った。
従弟からの年賀状は来なかった。
無言と無言、阿吽の呼吸で、付き合いを終了した。
これはこれで、互いのため、良かったのかもしれない。



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

でしょう……

パトラッシュさん

yopikoさん、
手紙を受け取るほど、嬉しいものはありません。
携帯がある、今の世でも。
ましてや、昔なら、なおさらのことでしょう。
中野坂上にいらしたのですか……
都心に出るのに、便利なところですね。

本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

2020/01/09 19:10:55

手紙の下書き帳

yopikoさん

そう言えばしばらく手紙など書いていなかった。
故郷を離れて中野坂上に下宿していた頃
よく手紙を書いたものだった。
携帯電話など無い時代
手紙が本当に嬉しかった。

一年に一度
手書きの賀状で向き合いたい人が居る幸せ
感じる事が出来ました。

手紙はとても嬉しいものです。

パトさん
本年もよろしくお願い致します。

2020/01/09 17:43:45

みさきさん、

パトラッシュさん

実は、サラサラ……とは行かないのです。
パソコンのせいです。
私はこれに、どっぷりと漬かってしまい、今や肉筆では、
漢字もすらすら書けなくなっています。

そこで手紙を書く場合も、先ずパソコンに向かいます。
そうすると、不思議に構想が湧くのです。
言葉を連ね、冗句を削り、体裁を整えます。

一旦完成したそれを、今度は紙に書き写します。
プリンターを使えば、一瞬に済みますが、それでは手書きの意味がありません。
ペンで丹念に書き写して行きます。
これで結構、手間がかかるのです。

でも、利点もあります。
「保存する」でもって、何処かのフォルダーに残しておけるからです。
後に読み返し、参考にする場合もあります。
どなたかから「かくかくしかじかの手紙を書きたい」と相談を受けた場合、
参考文として、お見せすることも出来ます。
「中古文」ですから、もちろんタダですけどね。(笑)

2020/01/04 18:28:50

手書きの味わい

みさきさん

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

年賀状、律儀に年頭にお届けしようとすることは、だんだんに負担になって行くこともあるかと存じます。
私は、手書きがとても遅いので、12月のクリスマスカード、年賀状、寒中お見舞い、バレンタイン、そのどこかにご挨拶できればと、自分を追い立てないようになりました。

パトラッシュ様は、サラサラとお書きになってタイミングよく送られ、お受け取りの方も、きっと感動なさることでしょう。手書きのお便りの味わいは、少なくなっているだけに特別なものと思います。

2020/01/04 14:19:03

PR





上部へ