つれづれに

一昔前の事 1 

2016年12月18日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

私はある会社に勤めていた。そこの営業所の責任者で、ある程度自由な時間が持てた。公務員にもたまにある話、例えば暇な時間帯に職場を抜け出して、2時間ほどパチンコ・・・
こう言えばお役所にはひどく叱られるとは思うが、ニュースで時に耳にする。

私の場合は、当時半日職場に戻らなくても、遠い本社の社長の耳には入らなかった。いや、入っていたかも知れないが。自分ながらひどい事。行く先はパチンコ店ではなく、会社の車で1時間も離れた奈良・天理市の知人の会社の大広間。
そこではその不動産屋の社長・私のいる会社の、別の支店の長である私の実の兄貴、ほか知り合いなど6人程が津軽三味線の練習に興じていたのだ。そして、皆の前で指導するのは、はるか津軽三味線の本場青森から飛行機で出向いて頂いている、有名な家元の先生だ。

先生の冗談は、「私の言葉は津軽弁でかなりなまっていますが、三味線の音はなまってませんよ」これで笑いを取る。確かに有名な先生で、その音色は本物だった。
先生の伊丹空港までの飛行機代・ホテル宿泊代・そこでのお酒代などで、一度の費用は10万を超えた。その上、静岡から新幹線で来る、先生の一番弟子(一緒に指導に当たって頂くため)の交通費・ホテル代も安くはなかった。この、1回の練習にかかる20万近くの費用は、私達生徒に出せる金額ではなく、仲間の長である不動産会社の社長が面倒を見てくれたのである。

私も兄貴も、会社を抜け出して半日近くも三味線の練習。こんな事は世間ではありえない話だが、なぜか私の会社ではそれが可能だった。しかし、これでは世間の会社は成りたたない。それはさておき、お蔭で私の三味線の腕も上がり、大勢の人前でも、ある程度はごまかせるほどになっていた。
          続く



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