つれづれに

昔の思い出 3 

2016年12月04日 ナビトモブログ記事
テーマ:オーストラリア旅行記

私は特別な職人でもなく、オーストラリア人の先輩に教えられながら、その小さな組立工場で、家庭用電気ヒーターの組立・内部配線の仕事をこなしていた。
熱心にやっていたし、いつもその場の雰囲気を和ませていたので、
工場の責任者からも「良い労働者」と重宝がられていた。
そこの主任(オーストラリア人)は
私をかわいがってくれて、
彼の自宅でご馳走になったこともあった。

今でも覚えている彼のその時の話は・・
「ジョー・横田さん、あなたがいつか日本に帰って、
もしもオーストラリアの何かの商品を売りたいと思う時があれば、いつでも私に連絡を下さい。できだけのお手伝いをしますから」
というものだった。
私がもしも、生まれつき商才に長けた
賢い人間であったら、輸入会社でも立ち上げて、
今はもっとましな暮らしをしていたかも知れないが、
残念ながら私の両親は、そんなしゃれたDNAを
持ち合わせてはいなかった。

※ジョー・横田の名は、オーストラリアで
 内緒で働く私が、本名の代わりに使った偽名

問題だったのは例のギリシャ人の2人組だ。
その日も彼らはろくに仕事をしないで、
休憩時間でもないのに、2人共作業場の隅の
トイレにこもって雑談にふけっていた。
そこを通りがかったのが運悪く工場長だ。
工場長は1人用トイレの中から聞こえる笑い声に気付き、
しばらく聞き耳を立てていたが、
その後どうなったかは説明することもないだろう。



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