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goofpapaブログ
出島(いずしま)最終
2017年03月13日
テーマ:テーマ無し
(前回の続き)
不思議なことに、本当に不思議なことに、それからはあの人がめったに夢に現れなくなったのである。たまにそれらしき姿が見られてもすぐ消えた。
私は神様の存在とそのかしこきご采配を思わずにはいられなかった。
私の出島とのかかわりはこれで終わりと思われた。数十年がかりだった。まあ、すべて自分の一人相撲にすぎなかったのであるが。
出島のことは次第に私の日常から遠ざかっていったのである。
ところがあの東北大震災がおきたのである。
来る日も来る日も悲惨なニュースが報道される中、あるニュースを耳にした。
宮城県出島は壊滅的被害
島民は全島避難
何と!私は頭の中が真っ白になった。
島を襲った大津波は島の集落を破壊し尽くして、奪い去ったらしいのだ。
避難できた島の人々は、私が訪れた高台の学校で校庭に文字を書き、救助を求められたとか。
そして、その後、分散して本土の方々に避難されたとか。
あの津波は、島の暮らしと島民の人生をもぎ取り、変えてしまったのである。
島の人々はどうしたろう。釣りの学習をしていた子ども達と先生は、民宿のおばさんは、須田商店のおかみさんは、昔、村の井戸で出会った少女達は、そして、山の中腹ほどまで波がさかのぼったという女川港の食堂のおばさんは、物産販売館のお姉さんは無事だっただろうか。もしかして、私が恋した人は島に帰っていたのじゃないか。
私はただオロオロするばかり。しばらく何も手につかなかった。
私の心の数ページがもぎ取られたようだった。
悲しみが止まらない。
悲しみを止められない。
神様・・・
あれから6年である。先日、私の家の近くの防災スピーカーから、震災で亡くなった人々への黙祷の呼びかけが流れた。
今年も出島の方に向かって手を合わせた。
(最後に)
老化が進んで記憶が薄らぐ前に、この話を書いておきたかったのです。
長々とすみませんでした。
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出島、その後
コメントありがとうございます。もう出島に向かう勇気は
ありません。以降、漁師さん達が必死に復興にむけて頑張っていらっしゃるようです。のこのこと訪れる訳にはいきません。
2017/03/14 08:28:57