おひとり様の今日はこんな感じ

大震災の語り部 

2017年11月26日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

久しぶりに3泊4日の旅行に行ってきました。
女二人の、車で往復1200キロの東北旅行。
ずっと気になっていた、東日本大震災。復興ツアーと名ばかりの観光旅行です。

でも一番の目的は、南三陸町のホテルで毎日行っている震災語り部ツアーに参加することでした。
バスで1時間、町を巡り、語り部が体験したり聞いたりした当時の様子を伝えてくださるものです。

南三陸町は23メートルの津波に襲われたそうです。

非難した山の上で、幼稚園児、小学生、大人たちが3月の寒い夜、朝まで歌を歌い支えあったこと。
非難した高台の学校の校庭まで津波がきて、逃げ切れず、助けることもできず流されてしまった子供がいたこと。
最後まで防災無線の放送を続けた女性と、その上司がいたこと。
東京に住んでいて無事だった娘さんが、たった一人で家族全員の火葬に立ち会ったこと。
当時の火葬場は異常な光景で、どの家も大変だっため、家族以外は誰にも知らされず、深夜も火葬が行われ続けたそうです。

津波の威力はすさまじく、高台の後ろ側からも波がきたり、海につながる志津川を4キロもさかのぼった集落にも届き、7割の方が亡くなった所もあるそうです。

語り部は、普段から家族で、震災が起きた時どこに非難するか話し合っておいてくださいとおっしゃっていました。
特に津波の場合は、家族を信じて待て。
探しに戻っては危険です。
携帯電話は、早い人で3日、遅い人で1週間つながらなかったそうです。
そのために家族でしっかり話しておいてください。

私には何もできないけど、語り部からの伝言、皆さんにお伝えしましたよ!

南三陸町は今も、堤防工事などが大規模に続いていました。トラック、重機、工事の人たちがすごい数でした。
語り部は、2、3年後にまた来てくださいって言ってました。その時はすっかり復活した町を見てもらえるはずだと。

長くなりましたが、語り部ツアーで泣いた後、たこ煎餅とか、友達は牡蠣とかお土産をたくさん買ってきましたよ。
あー、最高の旅行でした。



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