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トラのミステリな日常
ダイプリ乗船記(その11)
2024年04月08日
テーマ:テーマ無し
〈3日目(3/20)鹿児島へ〉
横浜港を出港して、初の寄港地は鹿児島でした。
横浜では強い風が吹いて、寒い日でしたが、南下していくコースなので鹿児島は気温も少しは上がってくるだろうと期待していましたが、粉雪が舞う寒い日でした。
朝食後、寄港地ツアー「知覧特攻平和会館と武家屋敷」に申し込んでいましたので、バスに乗り込みました。
日本語のガイドさんと英語のガイドさんが乗っているのがありますが、私はもちろん日本語ガイドのバスです。
英語ガイドのバスはほぼ満員でしたが、私が乗った日本語ガイドのバスは24人でした。
なぜか鹿児島に行く度に「知覧特攻平和会館」に行っていますが、先の大戦でこういった無謀な作戦で、若い命を散らせていった事実をしっかり受け止め、次の世代に受け継いでいかなければいけないとの思いを強く持って知覧を後にしました。(写真)
ところで…
同じバスの乗客の方が、
「この地から、ゼロ戦が特攻に飛び立っていったんですね」と、ガイドさんに聞いていましたが、「知覧」は陸軍の航空基地で、ゼロ戦は海軍の戦闘機です。
知覧から飛び立ったのは陸軍の戦闘機「隼(はやぶさ)」で、「ゼロ戦」などの海軍の戦闘機は、知覧と海を挟んで向かい合った場所にある鹿屋(かのや)航空基地からでした。
余談ですが…
私は子どもの頃、「ちばてつや」さんが書かれた「紫電改のタカ」というマンガの大ファンでした。
(1963年「少年マガジン」連載)
海軍の戦闘機「紫電改(しでんかい)」にのり、特攻に飛び立っていく若者を描いた物語で、私の中に反戦の意識を芽生えさせてくれたマンガでした。
私の子どもの頃は、戦闘機の絵ばかりかいていた非行少年ならぬ「飛行少年」でした。(笑)
閑話休題
午後1時半頃にダイプリに戻り、昼食を取りました。
少し食べ過ぎたので夕食を少し遅らせ、出港をデッキから眺めることにしました。
17時前に、出港を見送ってくれている高校生たちの演奏が始まったので、それを聴きながら出航の様子を見ていました。
寒い中、船が遠ざかるまで、音楽が聞こえていましたが、ホントにお疲れ様でした。
寒空なので、少し煙を吐いている桜島が綺麗に見えました。(写真)
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私の伯父にも
おむすびころりんさん、こんにちは
伯父たちの中には戦争経験者が多いのですが、特攻の出陣前に終戦をむかえた伯父や、シベリア抑留で終戦の数年後に帰ってきた伯父もいます。
戦争体験は、次世代に引き継がなければいけないですね
2024/04/08 16:06:19
昔、職場に
特攻隊に属していたかたがいました。
大変優しいかたでした。
もうひとりは、お酒を飲むと、「僕は、紅顔の15歳のとき皇国少年だった」といって、さめざめと泣くかたがいました。
2024/04/08 14:56:07