つれづれに

若き旅人 

2016年02月19日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

私が24歳の時といえばもう48年も前の話。私は当時オーストラリア南部の都市、メルボルンに住んでいた。そこでキャンピングバスツアーに参加したことがあった。メルボルンから大陸中央部のエアーズロック(今はウルルと呼ぶらしい)へ行く2週間の長旅だ。
日本人の客はもちろん私1人だけ。オーストラリア人が大半で、他にはイタリア・アメリカ・カナダ人等のほかに、北欧から来たという、若くて可愛い女の子もいた。歳は私と同い年であった。まさに老若男女入り乱れての旅だ。このメンバーが同じバスで2週間旅をする。季節は冬だったのでメルボルンは寒い。バスの車体の下の土の上では、ノラ猫?がうずくまって寒さに耐えていた。ここは南半球なので北へ進むにつれて暑くなり、衣服を1枚また1枚と脱いでゆく。ついにTシャツ1枚になったが、湿度が高くないので耐えられない暑さではなかった。バスにはエアコンやトイレなどなかったので、用を足す時は外へ。バスの右側が男、左が女性といった具合だ。昼は男女の添乗員2名がサンドイッチを作り、夜は同じく簡単な夕食を作る。寝る時はバスの屋根に積んだ毛布とマットレスをおろし、野宿となる。砂漠地帯なので雨の心配は無く、テントはこの旅では不要だ。日本では考えられない。ある時バスの何かのトラブルで予定が大幅に遅れ、夜8時まで走り通しとなった。ここで気が付くが、運転手は一人だけで、交代の者などいない。本当にタフでないと務まらない。夕方になると客は皆疲れて口を開く者はおらず、目を閉じて走るバスに揺られるだけだった。そこで私は、歌を歌って皆の心を和ませることにした。
マイクで懐かしの映画音楽のテーマ部分を20曲ほどハミングで歌った。曲は「日曜はダメよ・ある愛の詩・ムーンリバー・シャレード・大脱走マーチ・エデンの東・南太平洋・ゴッドファーザー等々・・」皆が懐かしい映画音楽の数々を私のハミングで聞き、そして自身でも口ずさんで、しばらくの間疲れを忘れたようだった。私には相当数の映画音楽がインプットされていたので、いくらでも歌えたのである。「こんな若い日本人が、よくこれだけ多くの洋画のテーマ曲を知っているものだと皆が感じたに違いない。皆の笑みがそれを表していた。この私のサービスが、2日後に「予期せぬ素晴らしい出来事」を招くことになった。そしてその日を境に、私は<グッド・ジャパニーズボーイ>として、皆の人気者になっていた。続きはまた。



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