つれづれに

7年前の思い出 

2017年02月02日 ナビトモブログ記事
テーマ:好きな歌・歌手

歌手の「森山直太朗」の歌について北海道のメル友と会話していて、直太朗のある歌のことを思い出した。7年前に私は弘法大師で知られた高野山のふもとのある町に住んでいた。そこは大阪への通勤圏で、1千戸を超えるそこそこ大きなニュータウンだった。私はその町の自治会長を買って出て、今の大阪に移るまでの3年間役を務めた。
当時の夏祭りの企画も自分で考えて、「過去になかった」祭をめざした。地元の高校生のダンス部まで初の参加をさせた。そして新企画の一つが和太鼓の演奏で、それとコラボ(協演)すべく考えた曲が、森山直太朗の「生きとし生ける物へ」であった。この曲の後半が和太鼓と大変相性が良い。CDにも確か和太鼓が入っていたような気がする。
私はこれをよく歌っていたので、祭りの本番で和太鼓とコラボで歌うことにした。当日の準備は完了して、あとは夕方の開始を待つだけとなった。

ところがだ。午後2時過ぎから雲行きが怪しくなり、大音響の雷と共にバケツをひっくりかえしたような猛烈な雨が、実に1時間以上も続いたのだ。夕立どころの騒ぎではない。私もその町に20年以上住んだが、そこまでの大雨は初めての経験であった。広い公園は大雨でまるで池のようになってしまい、コンクリートの階段はさながら滝のように変わってしまった。
結局この状態では、定刻の5時までには歩ける状態にはならないという事で夜の祭りは中止となってしまった。

森山直太朗がありったけの声で歌っていた歌詞、「生きとし生ける全ての物へ 注ぐ光と影 花は枯れ大地はひび割れる そこに雨は降るのだろう」 You-Tubeの歌のバック映像でも、乾ききった大地に突如滝のような雨が降り注いていたが、まさにそれと変わらないことが現実に起きたのは奇跡としか言いようがなかった。
流れた祭りの延期はしないとの街の規約で、私が歌う夢も打ち砕かれ、それ以後夢を果たせないうちにこの大阪へ越してきたことは、口惜しい思い出と言うほかはない。



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