つれづれに

若者と言えぬ若者 

2017年03月31日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

前々回のブログを書いていて、思い出した7年ほど前の出来事を一つ。
見ず知らずの人を自宅に泊めてあげる、というくだりが前々回にある。
その時私は和歌山県高野山のふもとに住んでいた。
近くの駅で、大きなリュックを背負った若者と少し言葉を交わした。
彼の話では、遠く岡山からヒッチハイクで高野山まで来て、参拝の後また帰る途中だという。聞くと、宿泊は宿には泊まらずに、基本的に社寺の境内の軒先・知り合った(宿泊を提供してくれた)民家でお世話になりながらの旅だと。
これはまさに「ど根性の必要な」旅だ。よく自転車で日本1周の事を聞くが、彼らはテントを持ってのはず。この若者の場合、大きなリュックと言えどもテントは入らない。私は真面目そうな彼を見て、今晩の宿を了解した。

風呂と食事の後、疲れた彼は私の隣で話す間もなく就寝した。
翌朝出発の時、旅の途中のどこかの寺で受けた「お札」を差し出し、一宿一飯のお礼だという。やはり「昨今の若者」とは少し違うなと思いつつ、それを頂戴した。

「可愛い子には旅をさせよ」ということわざがあるが、
こういう経験が人を創るのは確かなのだと、実感できるほど芯の通った若者だった。残念ながら、私の子供にはこういう経験をさせてはいない。



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